絵、写真、短篇、詩文学、誤記

7.05.2015

日記


7/3

 もう一週間以上も排便なし。毎日大盛りご飯を喰らってるというのにだ。なんとか便をしようとからだをひさしぶりに動かした。奔ってみると、臑が痛くなった。全身体操をして帰宅。便はやはりでない。しかし同時に空腹感と疲労感が薄くなった。神経もおだやかだ。そろそろ絶食療法を験すときかも知れない。以前にも数日絶食したことがあるのだけれど、そのとき読んでた本──ガニマール版カミュ評伝──をとても集中して読むことができた。今回はさらに長期の絶食が予感できる。腸内洗浄をしから創作研究を深めようか。
 いっぽう父との関係は完全に消滅。親父は九万円をおれから立て替えてる。その返済のペースを決してゆるめてくれない。金に余裕があるくせに金に意地汚い老人だ。おれはもはや親父に我慢ができない。さんざ虐待をくわえたうえに人間扱いせず、家庭のなかでの最下層に固定しつづけた親父のいうがままにはもうできない。九万を返済したら、家裁の調停を利用して親子関係の無効を要求するつもりだ。おれは親父の死に水をとる気はないし、介護もしない。親父の金なんかいらない。老後の面倒は姉妹たちが看ればいいのだ。さんざ家庭内で優遇されてきたのだから。せいぜい老醜を曝すがいい。母も同罪だ。せいぜいワーカホリックやってればいい。おれは藝術を理解しようとしない人間の世話をしてやれるほど閑ではない。道を急いでいるんだ。じゃ、失敬。

 きょうでおれは31となった。もちろんのこと童貞である。

 きょうは誕生日ということで大浪費の祝祭をあげた。まずはアマゾンで数えきれない古本を買った。おもに文学と映画についてである。そして本屋にて、ニーチェ「道徳論の系譜」、ホッファー「現代という時代の気流」、ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」、ウィルソン「アウトサイダー」を買った。タワーレコードでは射守矢雄と平松学「センボウノゴウ」を買った。ビレッジヴァンンガードでセリーヌを買うはずが、もはや男の文学すべて撤去され、しょんべん臭い娘たちの娯楽小説しかあらぬと来た。おなじ森忠明門下の姉弟弟子・森絵都の本もある。そして綿矢りさ。あんなものは文学ではない。所詮言葉いじりがうまいだけの娘だ。官僚なんかと結婚してる。官僚なんていちばん藝術から遠い存在じゃないか! 当然のこと、文学がなんたるかをわかってないんだ。どうせなら画家と結婚すればよいものを。なんて女だ。矜持もなにもあったもんじゃない。仕方なくアマゾンから「旅」の上下巻を注文した。そして夜ツタヤで「エンドレスワルツ」を借り、アカデミーバーでギムレット。きょう一日を労う。空腹に酒がやさしい夜だ。あしたは精神病院時代の仲間たちとカラオケだ。
 おれは四十日間断食をやる予定。最大九キロの贅肉と内臓脂肪を消費するんだ。

7/4

 本日午前十一時、三宮駅東口付近で待ち合わせ、精神病院の仲間たちと。そこからまず食事へ。しかしわたしは断食中だ。セブンイレブンに入ってまず、「おいしい牛乳」を買う。そとでじっくり呑む。うまい。つぎにパウチゼリーとガムを買う。パウチを吸ったあと、ガムを噛みながら、みんなの食後を待った。そしてジャンカラへ。しかし会員登録がうまくいかず、カラオケ館へ。ここで会員登録を済ます。機種はダムを希望する。希望は叶った。六人で七階へ。さっそくわたしがNew order の「ceremony」を歌った。大部分をとちった。つづいて十歳上の女性Kさんが歌った。うまい。高音をうまくコントロールしてる。次ぎにわたしはエレファントカシマシの「ふわふわ」歌った。これはうまくいった。radiohead の「creep」は低音域に移調して歌った。英語詩の発音は大部分うまくいった。日日のシャドウイングのおかげだ。感心された。大変にうけた。以下、セットリスト。

 New order - ceremony
 Tom waits - Ol'55
 rediohead - creep. Fake plastic trees
 Joy division - Transmission
 oasis - Don't look back in anger
 The doors - Love me two times, Hello,I love you, Break on through
 エレファントカシマシ - ふわふわ、奴隷天国
 くるり - 言葉はさんかく、心は四角
 eastern youth - たとえばぼくが死んだら

 いちばん受けたのはエレカシの奴隷天国。いちばん感情が入った。ほぼ全曲立って歌った。なぜ歌手が動きながら歌うのかがわかった。喉ではなくからだで歌っているからなのだ。わたしの喉は低音豊かに造られているが、これから訓練次第で高音域も可能になるだろう。待ち遠しい。
 ちなみに二十代ふたりが途中で帰ったために、四十代三人と、わたし三十路だけになった。かれらは大らかだった。十歳したのわたしの行いに寛容だった。とても。午後四時退出。料金1160円なり。元は取った。笑顔でみんなと別れた。こういった人間的交歓は生きてきて久しかった。喜ばしいことだ。Kさんは驚いていた、わたしの、見た目とのギャップにだ。それもそうだろう。一見サラリーマンふうの物静かな男がロックに絶叫するんだから。
 きょうで宿便はすべて排出された。

6.29.2015

空谷跫音録〈ともきたる〉 第一回

空谷跫音録〈ともきたる〉 第一回

                                                                        森 忠明

                                      *

 元少年A・著「絶歌」──〈一文字の師〉の感想

03年10月刊行「酒鬼薔薇聖斗への手紙(宝島社)」に寄せた拙文はこうだった。

                                  一文字の師

 憶えておられますか。
 01年1月17日、初めて君に会い、同月31日、三回目の授業を最後にお別れした講師の森忠明です。その折、さしあげた「寺山修司選・森忠明ハイティーン詩集」と「少年小説・きみはサヨナラ族か」と貴作「愛想笑いに手には名刺を」感想文の三点──もしかすると没収されてしまったのかもしれませんね。二回目の授業で、君が自作掌編「愛想笑いに手には名刺を」を僕に提出してくれたことや、その最終行の一字改稿を素直に受け入れてくれたことを、今でも嬉しく思っています。
 「たった一字でも直すように指導しただけで"一字の師"と呼ばれるらしいから、もう君と僕とは師弟関係だね」
 と言ったとき、君は微笑して頷き、少し頬を染めました。ほかの時間でも君はしばしば紅潮。ウィリアム・ブレイクという英国の詩人が〈赤面は自重心の外衣である〉と記しているように、僕は君の赤面に君の誠実を見ていました。
 一文字の師となった僕は、その特権を発動、二、三の週刊誌に君の掌編を発表しました。あずかっている原稿料はいつかお渡ししましょう。

 君と対面する三十分前。全体が幽居じみた関東医療少年院の玄関先に立ち、〈Kanto Medical Reform & Traning School for the Juvenile Delinquents〉と刻まれた白御影石を見つめながら、僕は小さく溜息をつき独りごちた。「リフォームか・・・・・・。壁紙を貼り替えるようにはいかねえだろうな。オレに"カラマーゾフの兄弟"のゾシマ長老くらいの器量があればなぁ・・・・・・」
 なぜドストエフスキーの作品を想起したのかというと、そこに登場するスメルジャコフ少年やイワン青年と君とを重ね合わせて、畏れつづけていたからです。
 おととし、十八歳の冬、「作家になりたい」と言明した君のことですから、既に「カラマーゾフの兄弟」は読み終えているのではないでしょうか。

 超長期収容(G3)の重大事犯だという君と、他の四名の少年に向かって、僕が開口一番述べたことは、たしかこうでした。
 「この教室のどこかに盗聴装置があるはずで、授業内容は監視役の教官に加えて二重にチェックされていると思う。僕は本音しか喋らないから、一回こっきりで講師をクビになるかもしれない。そうなったら出所後、僕の所に来てください。こちらからシャシャリ出て君たちの力になりたいというような、善事に対する情熱はあまりありませんが、こんな無名の作家でもよいと判断したら頼ってきてほしい。君たちの犯行が事実だった場合、そこに至るまでのことを深く分析しつづけ、また苦悩しつづける限り、僕は有力な友人たちと協力して、末永くフォローアップする覚悟です。
 ひとつ提案ですが、僕ら六人で〈人間学会〉なるものを発足し、毎週一回、人間の狂気研究や欲望についての考察などを試みたい」
 指導方法はすべてお任せする、などと言っておきながら、あれするなこれするなと、入れ替わり立ち替わり制限してくる少年院幹部に、大きな嫌悪を感じつつ始めた授業。
 案の定君が僕によこした掌編が原因で、少年院の高圧的な次長らと衝突し、一年以上おつきあいできる約束だった君と、三回しか対話できずに終わりました。
 しかし、僕としては合計百四十分余りの邂逅のうちに、君へ贈る言葉と君の蘇生を願う気持ちは送りきったのでした。

 あれから二年半が経過した現在、改めて君に伝えたいことは二つ。
 どこかの出版社から大金と心ある編集者を前借りして、静かな場所に落ちつき、勉強と肉体労働と愛をおこない、人間のあらゆる迷宮と、自己の過去についてのエクリチュールをつづけてください。
 インターネットなどを攻防両用のツールとして駆使する君が目に見える。不日、ドストエフスキー級の作家になることが、自他への真の悪魔払いになるのだと信じます。
 もう一つは、すばらしい美貌の君の、唯一の惜しむべき点である歯を、大修理してほしいということ。独特の迫力は失われてしまうかもしれないけれど。
 以上、君の健康と健筆を祈ってやみません。
 ごきげんよう。

                                      *

 そして本年6月半ば、「週刊ポスト」記者小川善照君〈「我思うゆえに我あり──死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人」で第15回小学館ノンフィクション賞受賞〉から電話あり、「まだ読んでないんですか"回収しろ"とか"自己陶酔など読む気もせん"とか悪評だらけのようです」と言った。
 「おれも未読だけど、14年前、関東医療少年院で面接授業した時点ですっかり魔物が抜けちゃってた人間だからね、歴史的名作を残せるマジカルパワーが残ってるとは思えないね。それにさ、医療という名の去勢手術で、あそこまで骨抜きにできるのか! さすが"国家プロジェクト"、税金いっぱい使っただけのことはあるって、カンシンしちゃったわけ。カンは寒いほうの寒心だよ。神戸のあの事件を、国家犯罪へのカウンター・クライム、反対犯罪の一種だと考えてたおれとしては、医療、メディカル・リフォームとか更正権力と称する"新変態製造ライン"に、少年Aは当時2回目の敗北を味わってたんだ。そんな可哀そうなハイティーンに「僕は作家になりたい」とか「この作品に感想ください」なんて赤面しながら迫られたら、「きみはもう魔物の抜け殻なんであって、力がしれてます」なんて本音は吐けませんでした。ほめ過ぎ、励ましすぎたことに悔いはないけど──」
 小川君とは旧知の間柄ゆえ、そんな軽口になってしまった。それからすぐ、アマゾンから「絶歌──神戸連続児童殺傷事件(太田出版)」をとりよせ、読み終えて間もなく、フジテレビ「情報プレゼンター・とくダネ!」なる所の御堂真則から取材の申し込みあり。
 6月23日午後1から約2時間、自宅で「絶歌」について、文学上の師匠としての感想を述べた。大要は以下の通り。

 ○「絶歌」出版における最大のミスは、文学的指導者たる私の検閲を受けなかったこと。「ポケットモンスター」劇場版脚本家・園田英樹は一番弟子だが、大家になった今でも私のダメ出しを受けにくる。直木賞作家・森絵都などは、私の厳しいチェックに涙目になりながらも二十歳の頃から耐えていた。
 ひとことで言えば、出版は30年早すぎた。人間は最低60年生きなければ、自他への真の苛察力と暴露技術を身(神)得できないからだ。いかなる才人でも、プロフェッショナル・ノベリストになるには、それくらいの歳月を経ねばならず、今回の処女? 出版本は、良くてもア・マン・オブ・レターにとどまっている。
 ○人物観察、ナメクジ解剖、Y夫妻描写など、評価できる局部もあるが、ザンゲ録としても、自己分析史としても、単なるライターズとしても、全体の構成がなっていない。太田出版担当編集者の不親切、あるいは非力を恨む。俗に言えば、ゼニの取れない物を世に送り。我が弟子に大いなる恥をかかせたことを怒っている。〈心ある編集者〉ならば、安っぽいディファレンシャル・アドバンテージ欲動やPompous〈気障ぐせ〉などを止揚し、洗練する術を、長時日に渡って教えるべきであった。
 ○私が望んでいたのはニーチェ級の魔界腑分報告書だったが、それはあと30年経っても無理なようだ。結局「自分に見えたもの」しか書いていないのだ。パンピーの喜ぶ本とは、「作者が見てきた珍しい物のことだけで、作者の考えなど必要としない」とはショーペンハウアーの至言。元少年Aの分析モドキ本は卑俗現実主義者の日常を、いささか補強するだけだろう。残念でならない。
 ○作家たらんとしている以上、ドストエフスキー作「二重人格」レベルの魔神現出力を、いつか手にし、人類への置きみやげを実現する以外に二人を殺めたことの償いは無いはずである。三島由紀夫や村上春樹をバイブル視しているようでは心許ない。つまり勉強が圧倒的に足りないのであり、「文学がわっていない」だけのことなのだ。「万葉集」の作家群、紫式部や清少納言に取り付いた藤原一族がらみの憑き物を極めず、いっきょに三島へ、というのは信じられない。
 ○肉親、特に母親への大甘な対応は許し難い。ゼロ歳児のAを虐待した事実への調査、父親の出身地と、その地への民俗学的な切り込みはどうなっている? 本の構成としては、この未生以前へのアカデミックな考究が冒頭か、その近くになければならない。
 ○少年院での"治療"過程を、その次あたりに配すべきなのに、一切載せなかったのも、フェアではない。治療を受けるという〈優しいサディズム〉に屈辱を憶えたのか、無防備で受身の自分をさらすことができなかったのは、彼のうちにいまだ捨てることのできない、なけなしのヒロイズムがあるからだろう。32歳のチョンチョコピイに、放下や解脱を期待した私がおろかだった。
 師弟の、今度最善の課題は〈愚を養う〉ことだろう。〈くつろぎとは あらゆるヒロイズムをすすんで失うこと〉。ロラン・バルトの定義は絶対に正しい。
 〈どのみち全てが過ぎるんだ はかない歌をつくろうよ〉と記したリルケも真実であって、これらのものを、本統の「絶歌」というのである。
 ○永遠にくつろげない男ほど悲劇的なものはない。彼は幼年時代にロール・モデルたる卓越した人物、一生もののヒイキ役者に、一人として出会えなかった存在だ。この世は気の毒の容れもの、とはいえ気の毒でならぬ。ドスト氏ほどの文豪になれないのであれば終生「錯乱のエクササイズ〈市川浩〉」を重ねるほかはない。それは彼だけの悪行ではなく、世界嫌悪100%に達し得ず、"死にっかす〈我が祖母の口癖〉"として存るほかはない。不純にして未練たっぷりの、私の姿でもある。


                                                            2015年6月24日午後記

「公共空間X」の許可を得て転載


6.20.2015

経験



 わがうちを去るものかつて分かちえし光りのいくたすでになかりき


 指伝うしずくよもはや昔しなる出会いのときを忘れたましめ


 過古のひとばかりを追いしわれはいま忘れられゆくひととなりたし


 かのひとにうずきはやまずひとひらの手紙の一語かきそんじたり


 救いへはむかわぬ歌の一連を示すゆうぐれまたもゆうぐれ


 夜をゆけテールランプのかがやきを受け入れてるただの感傷


 やさしさはなくてひとりのときにのみ悔やめるものぞ日に戯れる


 帰らねばならぬところを喪って遠く御空を剪り墜とすのみ


 くやしさを飼い殺すなり灯火のもっとも昏いところみあぐる


 決して救われぬわれもて歌う風景のひときれきみのために残さん


 ことのはの淡くたなびく唇をして孤立するわれはどろぼう


 たかみより種子蒔くひとよ地平にてあわれみなきものすべて滅びよ


 たそがれにうつむくひとよ美しき惑いに復讐されてしまえよ


 茎を伐るいっぽんの青きささやきよすでに非情なる眼に焼かれき


 ひとの世を去ることついにできずただ口吟さめるのはただの麦畑


 いっぽんの地平のなかに埋もれたき愛すものなきやもめのものは


 友情を知らぬひとりの顔さえもとっぷり暮れる洗面器かな


 拒まれて果ての愁いはだれひとり告げずひとりのつらに帰すのみ


 中空に立つ石われら頭上にてひかりのごとくあふれだしたり


 成熟も病いのひとつ青年の茎はかならず癒やすべからず


 花くわえだれを追いしか少年のあやまちいつも知れるところに


 耳すすぐ悲鳴を夜のふかぶさかにきょうも戯むるぼくのすきまよ


 夜ごとすぐバス一台のかなしみを背負いてはきょうの月を浴びるか


5.07.2015

5/4のバラード

5/4

 かれらはよりいっそうたくましくかたわらを抜ける
 哀傷をくすりと笑って
 だれよりも品よくハンケチをふりたいもの
 そうしてまたしてもぼくは悔しくなってしまうのだ
 この映像、このゲートの縁よ
 もう少しばかげた
 やりあいがあってよかったかも知れない
 おお馬のないぼくよ
 みずからに鞭をあてがい
 走れよ
 ただ走れ

10.17.2014

声/夏の夜(a first demo sessions ver )

 なんのプランもなしにイメージだけで、インスト曲「声/夏の夜」の制作に入った。まずはドラムを書き、音声加工。リバーヴは「大理石ホール」を使用。つぎにその音源を鳴らしながら、ギターを弾く。これもただただイメージだけ。そして音声加工、ミキシング。なんとなくyo la tengo を感じさせるものになった。さてこれをスタジオではどう演奏するかだ。ちなみに題名はムンクの絵から。
video

10.09.2014

日記


 ブクのいうところでいえば「情熱と方針の欠如(「空のような眼」)」がやってきた。物事に対する興味も失せ、ただただ自身の無能力さをなじる生活がやってきた。詩? 小説? 音楽?──そんなもののうしろっかわでマスを書くみたいな状態にけっきょく嫌気が差してきた。今月ははなっからついてない。内蔵を傷め、骨に罅を入れ、金は失せる。単純に生活するというこに厭いてしまってる。今月で中原中也賞は締め切りだ。来週一万円ぶんを刷っておこうとおもってる。けれどもまったく報われないのはもうわかってる。所詮わたしは駄馬に過ぎない。以前「阪神競馬場」という詩でも書いたとおり、つまりは周囲との個体差があまりにもありすぎてる。こういうときは消滅したくなる。死をも通り越してしまいたくなる。しかしどうにもならない。程度のひくい現実を改善するべく、通りをのろのろと横切ってくだけだ。そのうちになんにも感じなくなるのを待ちながら。
 きょうは未明から体調を大きく崩し、四つの医者にかかった。精神、整骨、内科、消化器。そうしてよりいっそう擦り切れながら、一冊の本に取りかかろうとしてる。「バロウズ / ウォーホル テープ」だ。一目惚れをして買ったというのに、もうしばらく抛りだしたまんまだった。なんとか小説はむりでも、なにか文章に出会したいところ。──しかし、これもけっきょくは無意味な企みに終わるだろう。なんにもできやしない。喰うことも眠ることさえもだ。ただただこうしてモニターを眺めながらbloodthirsty butchersを聴いてる。
 詩? 小説? 音楽?──創作といったもろもろ、しばらくあいだ、それらはうっちゃっておこう。



8.02.2014

日記


6/10

 先日森忠明先生と写真家の谷井隆太氏と電話で話した。先生には希望されていた絵を贈った。その礼にときのう「詩学」の嵯峨信之追悼号が贈られてきた。98年のものだ。わたしがまだ14歳のときのもの。嵯峨信之は「孤独者」という詩が好きだ。

  よく熟れた広い麦ばたけを
  あらしがきて根こそぎに薙ぎ倒していつた
  一瞬 ばらばらになった金いろの麦よ
  ある種のこの解放 そして私的な死
  すでにおだやかな夕凪がひとびとを充たしはじめたときに
  このレパートリイからただ一人たち去っていくものに路を開けよ

 森先生はわたしに油絵を始めなさい、ノンフィクションを書きなさいといった。いささか困惑する。前者は金がかかる、後者はまったく作法を知らないとくる。谷井氏は詩集に付したわたしの写真を「森山大道みたい」と仰ってくれた。わたしは大道が好きだ。そしてきょう、速乾性の絵の具を三つ買ってきた。まあ、なにごともゆっくりやろう。
6/13 

 過日森忠明先生と画家の野崎義弘氏と話す。前者にて先生の所望されていた宇野邦一「ドゥルーズ(河出ブックス)」を入手したと報告。後者では長い時間で絵について語り、氏の製作法を聴かせていただいた。洲之内徹、松本竣介の存在を知る。そして油の調合。テレビンとポピーを混ぜているそうなのだ。きょうはポピーを入手。音楽もいくつか買う。ほとんどが中古だが、坂本慎太郎「幻とのつきあい方(LP)」、高田渡「ごあいさつ」、The good life「Help wanted nights」、エレファントカシマシ「町を見下ろす丘」入手。DVD「シンプルメン」を貸出。
 じぶんはギターソロの練習に向かう。相も変わらず、ゲインをきつめにしてだ。

7/2

 明日から三十路だ。

7/12

 きょうは救急車で病院に。脚の病気をみてもらう。どうやら痛風の発作によるものらしい。痛み止めを鱈腹呑んで、なんとか歩けるようになる。しかしまるで酩酊したような歩き。
 午后金子光晴訳のランボー詩集が届く。箱もビニールカバーもきれい。これからは寝しなにちょっとづつ読もう。ところで作曲のほうはようやく「だれもない待合室」に着手、前半部分ができあがった。

7/19

 あしたはいよいよライブだというのに演奏の具合がよろしくない。新しい曲は未完成だし、古い曲は弾きづらい、歌詞が憶えられてないというありさま。まあ、ぶっつけやるしかあるまい。

7/20

 ライブ、なんとか無事に終える。「kaze-bungaku」と「umi」を演奏。後者は古い曲だが、コード数が多くて大変だった。

7/25

 きのうにかけて油絵を三枚描く。まだまだ色の調整がうまくいかない。夕方から曲「CQB」の練習。コードをいくつか変更する。夜、森忠明先生に電話。「送った詩篇から、次の詩集にふさわしいものを」というわたしのリクエストに「二、三日待って」とのこと。新作については「余裕がでてきていい」とのこと。

7/28

 一昨日より、痛風の発作ふたたび。きのう救急車を呼ぶも、日曜なのでどうにもならずに終わる。そしてきょうの朝六時、病院へと出発。躄りの状態、一時間かかってようやく新神戸から県庁前へ。病院の長椅子に横たわり、診察を待った。診察を終え、薬も受け取った。さっそくボルタレンを使う。そして帰途に就く。薬は一時間経ってもきかず、わたしはJoy Divisionの音楽を聴きながら、関連スレッドを読んだ。数々の証言たちを読んだ。少し泣いてからNew Orderの”Get Ready”をかけて蒲団に潜り込んだ。かたわらにきのうの夜から読んでる、ウォーホルの「ぼくの哲学」を寄せてだ。かれはこう書いてる──「ぼくの生涯でひとと群れていたい、親友が欲しいと感じていたときにはだれも来ず、ひとりでいたくないときにはひとりだったわけ。でひとりでいいや、もうだれにも相談をもちかけられなくてもいいんだと決意したら以前会ったこともないようなひとからあまり聞きたくもない、聞かない方がいいとおもうようなことを追っかけられたあげく聞かされるようになった。もう孤独でいいやとおもったとたん、取り巻きができるようになった。ほしがらなくなったとたん手に入る。これは絶対に正しい格言だとおもう」と。なるほどな、とおもった。これは実行に値する考えだとおもった。
 またもおかしな夢をみながら夜の九時半まで眠った。そして飯を喰い、薬を呑み、これを書く。あさってには個人雑誌のための会合がある。あしたじゅうにはなんとか企画書をかきあげ、準備を整えたいものだ。
 では、またおやすみ。 

7/30

 一回めの雑誌の会合。といってもわたしともうひとりだけ。夕餉をご馳走になりながら話した。それでもたいして前進せず、ただかれがアコースティック・ギターをくれるということが決まった。ただソレダケ。

8/02

 森忠明先生から葉書が来てた。曰く《"中間発表"『夏祭・月曜日・終わりの手・檻・有情群類・よそもの・ラヴソング・新神戸駅・二宮神社・Hotel juke box・潤滑油・アニス・七月・憧憬・阪神競馬場・移民局』──かつて中沢新一は「ポエジーには非人間的な力が侵入すべきだ」といったが、きみ独特の”非人間(超人間か)”性による脱快感原則詩が少しずつ形になってきてたのしみだ。やはり中沢のいう「電通文学」がのさばるからこそ、きみのマイナーぶりは貴い。ミツホアヴァンギャルドをみせてくれ》とのこと。

 そのあと電話で話す。《(「e・e・カミングス」で書いたような)かっこ悪さをもっと読ませて欲しい》といわれる。若干困惑してしまう。いまのところ、作品として昇華できそうな”かっこ悪さ”をわたしはあまりもっていないからだ。飯場で喰いっぱぐれてたときでも書こうか? いいや、いまはおもいだしたくもないんだ。心身の状態がよろしくないとき、あらゆる記憶が悪夢に変わってしまって身動きが取れないもの。わたしはちょうど窪地に立って、手を拱いてるところなんだ。

7.08.2014

一人芝居



挑発しつづけろ、しかし挑発に人間性を忘れてはいけない──ゲンスブール



 N氏がわたしを「ポエム・フェスティバル」に誘ってきた。十一日の昼間っから詩についてうだうだを聴かなくちゃならない。なにか出会いを期待するも、それはほとんどといっていいほど儚いものだ。なにせ詩人というのは自尊心がかなりつよい。──わたしも含めてだが、かれらはいちばんでなければ決して満足しないんだ。
 「なにが欲しい?」と尋ねれば、十中八九答えは決まってる。
 「いちばんになりたい」と。
 正直もうたくさんだ。詩人同士の馴れあいなんぞケツくらえだ。だからいわんこっちゃない、知らずしらずにわたしみたいに鴨に成り下がってしまうんだ。つい数時間まえ、わたしはある詩人きどりとやりあいになった。結果はドロー。まさに泥仕合。やつのコメントを「文法パトロール」や「ケツでも囓れ」とからかって以来というもの、やつの詩に批評をくれてやったというもの、「現代詩フォーラム」の私信がぱんぱんになった。みればやつときたら、わたしのコメントのリンクをわたしの投稿の随所に貼りつけて、勝ち誇っていやがるんだ。曰く「吾輩は汝の鏡なり」。中学生ならともかく四十五を過ぎた男の科白ではあるまい。こっちが恥ずかしいくらいだ。どうかしてるやろうにであったのは、はじめてでないこちらも、さすがは慄然としてしまった。しょんべんちびるくらいには。たしかにわたしの詩は一〇篇書けば半分以上くずだ。しかしだからといって意見する立場にないというのはまちがってる。かれのようにほんとんどの投稿にコピー&ペーストする行為はただの迷惑行為でしかない。だれもかれもがやつに対して慎重に書くのは、けっきょく厄介者だからであって、尊敬されてるわけでないのを知って欲しいもんだ。わたしのような気分屋ですら、そうおもうのだから、もっと真剣なやつは刃を研いでるか、みえないふりを決め込んでるだろう。それがいい、それでいいんだ。だからこんな駄文は読んだ瞬間に忘れておくれよ。どうせだれもよまないだろうが。
 ところで作品に対する反応に、おなじく作品に対する反応で答えないとはいったいどういう了見だろう。対話を、地上戦を張ればいいものを。たしかにわたしのファーストコンタクトは下品だし、責められて当然だ。しかしわたしはそれとおんなじくらいにかれの行為が上品にはみえないんだ。わたしが読みたいのはごまかしの利かない人間くさい作品である。しかしかれのは復古調で塗抹されたショートケーキだ。鼡の穴蔵を犬がほじくるような代物だ。文法や語法については完全にかれのお株だが、かれはわるい意味で人間の心理を解してる。つまりお得意の「心理学」からひっぱって来たのか、いかにすればひとが不愉快におもうかをだ。そこのところは素人はだしでまったく余念といったものがない。うまいものである。
 「ところであんたのほうはうまくいってるの?」
 「うまくいってたらこんなものは書かないさ」
 「ぶすにふられたようにみえるよ、いまのあんたは」
 「まあな」
 とりあえず、この情熱と方針の欠如した話題にはもうおしまいだ。まだいいたいことはある。しかし書けばかくほど下品になっていくだろうし、いずれ葺合警察のやっかいになるかも知れないからな。それにもうコメントなどブロックすればいいのだから。好きに勝手にすればいいんだ。
 ところで新しい詩集を母校である中学校に送った。そうしたら内容を問題視する教師がいて、協議中だといわれてしまった。もしかしたら送り返されてくるかも知れない。わたしが三年生まるまる不登校だったせいもあるが、かれらのやること、考えることなどしけたもんだ。ヤンキーどもには媚びへつらい、やりやすい相手にしか手をださないんだ。しかしわたしはすべてを赦すことにした。だってたしかにおれの書くものは下品で、一人称に頼りすぎ、でたらめだからだ。
 今夜はウイスキーがあってよかった。ランバージャックⅡを吸いながら、よろしくやってる。自身の子供っぽさにも、かれの子供っぽさにも幸あれだ。
 「またそうやって簡単にまとめる」
 「もう眠りたいからね」
 では失敬。

6.27.2014

日記


 頃日「風文学」という曲を中心に創作してる。きょうはおもに間奏部分をつくった。この曲はアルバムには入れないが、来月20日雲井通の「バックビート」で演奏するつもり。

 ○最近購入したもの

  音楽

eastern youth / 雲射抜ケ声(中古)
サニーデイ・サービス / MUGEN(中古)
エレファントカシマシ / 町を見下ろす丘(中古)
大瀧詠一 / 大瀧詠一
The Good Life / Help wanted nights(中古)
The Good Life / Novena on a Nocturn(中古)
John williams / The long goodbye
The Velvet underground / ICON
Tom waits / The Early Years Vol.2(中古)
Noel Gallagher's HIGH FLYING BIRDS

  本

ラニアン / ブロードウェイの天使(中古)
ハワード・スーンズ / ブコウスキー伝(中古)
Vincent Gallo, Tohru Okamoto / Buffalo '66(中古)
J=M・バスキア /  バスキア角川文庫(中古)
Charles Bukowski / more notes of dirty old man
Dan fante / Kissed by a fat Waitress: New Poems
 
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「風文学」

降り積む愁いしどけなくゆるい
黙りこくって見送った車窓
見知らぬ背中降り立った駅が
遠くかのひとのおもざしをみせる

相槌もなくさまようがままに
溶けだしていく輪郭は近い
便りはぜんぶ破かれてしまえ
きみらになにもわかってたまるかと

 冬の外気、立ち向かうはずが
 冬の外気、あっさりと打たれ
 首を振った、屈辱の果ての
 そこにはなにもない 

二月のかぜの文学はいつも
過ぎ去ってったひとみたく淡く
二月のかぜの文学はいずれ
皹われた手のひらに融ける

鷗が飛んだ質問のひとつ
答えもせずに見送っただけさ
右へ左と飛ばされるままに
ぶ厚いかぜの壁を蹴りあげる

 アベローネ、ぼくはきみのことを
 アベローネ、もはや書きはしない
 手を振った、むこうにはなにも
 むこうにはなにもない

5.25.2014

長篇草稿(1)


アベローネ、ぼくはもうきみのことは書くまい。──マルテの手記


      ○

  わたしは二十九歳。もうじき、七月三日で三〇になる。産まれた一九八四年はジョージ・オーウェルが描いたディストピアであり、リチャード・ブローティガンが自裁し、トルーマン・カポーティが斃れ、寺山修司は一周忌だった。そして七月三日はフランツ・カフカの誕生日でもある。わたしの好きな映画「パリス、テキサス」と「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の公開された年。塚本邦雄は「チアノーゼ色の菖蒲を剪りてわが誕生日なり 生るるは易し」と「日本人霊歌」で詠んでる。たしかに易かった。けれど普遍的なものから一切追放されたわたしの生。その宣告は産まれたとき、すでに受けてたんだ。そしていまシオランの「誕生の災厄」をめくってる。かれはいう──「ヨブとちがって、わたしはじぶんの誕生の日を呪いはしなかった。そのかわり、わたしはその日以外のすべての日々を呪詛で塗りつぶしてきた」と。その言葉にただうなづくのみだ。
 素直にいって疲れた。この生に、このナカタミツホという人物に、すべてに。傷を抉りつづけるのはもうたくさんだ。生きるか死ぬかはおれの勝手だ。近々またも病院送りにされちまうかも知れない。いまの作品は秋には終わらせよう。そしてある冬の朝、ヘリウムを吸っておさらばといきたい。その前夜には商売女でも呼ぶ。そして金を払って普遍的なるものを疑似体験したいところだ。ふたりでただ並んで歩いたり、坐ったり、たわいもない話しをし、手を握ったりをだ。わたしはどうしてもわたし自身に我慢ならない。激しい躁鬱から早く逃げたい。その日までに室を片づけ、身奇麗にすること、作品をやり通すことだけが、現在わたしが生きる理由である。いずれにせよ、学習障碍、奇形、遺伝性の皮膚病、自己否定、他者否定、アルコール中毒、孤立などなどてんこ盛りではやってられない。
 再会を夢見つづけてたひとびとは、どうやらわたしを拒絶したらしい。ただふつうに会話をしてみたかっただけなのだが。もはやなにも感じない。表は驟雨だ。

 テレビはつけっぱなしで両親はいない。わたしはおもちゃのバイクに跨がって姉と妹をみてる。かの女らを好きなヒーローものの、ヒロインに重ねながらだった。わたしは姉にあこがれがあった。最初のあこがれ。これが最初の記憶だ。一九八八年くらだろうとおもう。やがて場面はかわり、わたしは生瀬にいる。バレエ教室だ。そのまえに坐って螺旋階段から下をみてる。姉はバレエを習ってた。そしてわたしはまったくの蚊帳の外だ。退屈も退屈で、いやとうほど時間を憾んだ。窓のむこうでは女たちが足をのばし、からだをくねらせてた。そしておれは滑り止めのある鉄板のうえでなにもできないでたというわけだ。
 そして九〇年代がやってきた。姉は小学校にあがり、わたしは幼稚園児になった。山口幼稚園。いやだった。そこが不愉快でならなかった。毎朝大声をあげて抵抗した。けれどだめだった。おれは薄汚れた建物のなかに放り込まれ、だれも助けてはくれなかった。そしてそこから他人という地獄に直面せざるを得なくなった。まずもってわたしはだれとも仲良くはなれなかった。だれかと遊ぶということを知らなかった。とりあえず、女の子たちの遊びに参加したものの、すぐに笑いものにされ、やめてしまった。またひとり遊びに戻った。大きな木のブロックでじぶんの城をつくるのに熱中した。そして先生には、遊び時間を延ばせと要求し、朝のお遊戯で唄う歌を口パクして得意げになったりもした。
 それでも次第に男友達が欲しくなってた。おなじバラ組の楠本武司くんのことが心にひっかかった。なによりなまえがよかった。タケシなんて男らしいなまえがだ。ミツホというのはオカマのそれだった。そうにちがいなかった。まがいものだった。じぶんにはべつに名乗るべきなまえがあっていいはずだった。まったく退屈してるとき、わたしはじぶんを探し回った。なんでおれは南光太郎でなければ、本郷猛でもないのだろうかと。
 あるとき、おもての庇の許でかれが遊んでいるのをみつけた。幸いひとりだった。なんとか声をかける機会を覗う。──そして声をかけた。でもだめだった。そいつは小さすぎてかれの耳にはとどかなかったのだ。それでもなにかのきっかけでかれの家にいくことになった。どうしてだかは憶えてない。やけに雲行きのわるい日で、団地の階段を母と登り、かれの家にいった。けれどそこにでも、わたしはひとり遊びをつづけた。みんながテレビゲームをしてるあいだじゅう、かれのミニカーをいじって時間を潰した。五時を過ぎた。母が迎えに来た。かれの母に呼ばれ、戸口に立った。雨が凄まじく降ってた。
 車の窓から団地を見あげ、ふいに激しいむなしさに充たされた。わたしはなんのために来たのだろうかと。ただただそれだけをおもってた。なにもできなかった悔しみを雨が代弁してた。幸福は遠かった。
 幼稚園といえば脱走だ。わたしは脱走の名人だった。ある日劇の稽古があった。わたしはカーテンの裏に隠れながら、一階へいき、傘をとった。その日は終日雨だった。わたしは鉄柵を越え、むかいにある公民館の庇に潜ると、喜びとともに傘を降ろした。だれかがきっと驚いてくれるだろう。だれかがきっと笑ってくれるだろうとおもった。しかしそうはならなかった。母はえらくお冠で、わたしを見下ろした。あいかわらず、わたしはひとり遊びをつづけた。給食のときはたいそう気詰まりだった。だれとも一緒になれないからだ。テーブルを一緒に運び、一緒に食べてくれるのはいつも女の子だった。会話もなく、残りもの同士で。
 遠足の日だった。担任のタマネギ先生はいない。若い先生が引率した。その道では男女で手をつなぐことになってた。わたしにあてがわれたのは、いつも悲しい顔した。黙りっこ、泣き虫で、手は湿ってた。気持ちがわるい。ただそうおもいながら歩いた。そして食事はまたも女の子たちと食べた。
  ボイコットもまたわたしの得意だった。劇の配役にケチをつけたんだ。若くて、かっこよくて、絶対に死なないひとがいいといった。そんなやろう、いるはずがなかった。好きな遊具をとられて遊べなかったら、休み時間が終わってからでも遊んだ。のちに中学で会うことになる佐々木というやつがよくわたしにちょっかいをだしてきた。両親は先生から精神科への受診を勧められ、えらく憤慨したようだった。落ち着きも頑是もない、この子供に手を焼いて終わりがなかった。
 わたしの家は山のうえの窪みにあった。生野高原という、もとは宝塚温泉団地と呼ばれた別荘地で、まわりには山と森と林と渓しかなかった。店は小山商店と床屋のみ。だからみんな車で移動しなければならなかった。この土地がいかんに困難かをおもい知らされるのはもっと成長してからだ。夜は枕を抱きながら眠った。そうしないと眠れなかった。そして巨大な退屈さを呪った。ひとりでいることのうんざりしてた。桂木健太に会ったのはそんなときだった。かれもおなじ生野の人間だった。二階へあがってかれに会いにいった。しかしこれもつかの間のことだ。なにが原因かはわからない。おもちゃでも毀されたのか、わたしはかれを家から追い払ってしまった。
 研修の先生がやってきた。かの女は若くてきれいだった。さっそくかの女を輪にみんながあつまった。わたしはいかなかった。ひとり木登りをはじめた。そこでへまをやらかした。ほんの少しの高みで降りられなくなってしまった。恥ずかしいおもいでおしろをみた。かの女が女の子たちと話しをしてる。しばらく経ってとうとうわたしは降参した。
    先生。
     なに?
    ──降りられません。
     すぐそこじゃないの。
     地面は。
    どうすればいい?
 かの女の指示に従ってなんとか降りてきた。かの女はあきれてた。あきらかにわたしをあたまの足りないものと見做し、わたしもいっさい話しかけはしなかった。 
 やがてクリスマスがやって来た。公民館ではモノクロアニメが上映された。「サイボーグ009」だった。サンタなんか鼻から信じてはいなかった。というよりもその存在についてよく知りもしなかった。つくりものの髭を蓄えた男がなにごとかをいって、騒いで、去ってった。みんな幸せそうで、それがいやだった。
 春はもうまぢかだった。わたしの組には姉の友人にそっくりな子がいた。それを姉たちに教えようとしたのだが、なぜかわたしが姉の友人を好きだという話しに変えられてしまった。わたしには抗うすべがなかった。あるとき、幼稚園の近くの民家で水撒きをしてる少女をみつけた。それは二番めのあこがれだった。
 ある日の帰り、母が道ばたの植物について話しをした。なまえは憶えてない。節があって、それを引っこ抜いても、くっつけられるやつだ。母はめずらしく穏やかだった。いつも妹の世話でかりかりしてるのがうそみたいに。

 北六甲台小学校は丘の住宅地にあった。わたしの隣にはブロンドの混血児がいた。東川真由美といった。はじめてみる、その存在にわたしは眼をみはった。奪われた。しかし邪魔が入った。うしろの星野秀明がわたしに囁くのだ、ジョークを。笑い上戸なわたしは負けてしまった。あんまり騒がしいので席の順番を変えられ、かれがブロンドの隣になった。悔しかった。
 やがてわたしは近所の年長者たちと遊ぶようになった。かれらはみんな、わたしにやさしかった。けれども学校はやはり退屈で逃げようのない場所だ。わたしは父と撰んだフランス製のランドセルをしょって学校へいった。変わったかたちをしてた。そいつがいたくまわりを刺激したらしい。ある日の放課後、けんかになった。岩瀬と政次とだれかさんにからかわれたわたしは鞄を放り投げてむかっていった。けっきょく鞄は犬のくそを塗られてしまった。わたしは三人を追いかけた。しかしもう遅かった。
 帰りの車のなかで母にさんざ叱られながらくそまみれのランドセルをちらりとみた。どうしようもなかった。それからは迷彩柄のずた袋をしょって通った。翌日わたしは浜崎先生にあらましを告白した。さっそく三人が壇上で謝らされた。先生はどうだ、赦すか? という。なにをいっていいのか、わからなかった。まるでじぶんがなにかをしでかしたような気分にさせられた。赦せるわけもなかったが、しかたなしに、なし崩しにもういいよといった。悔しくてならなかった。
 家に帰ると、けむりきのこを探しにいった。いたるところにそれは生えてた。踏んづけたり、壁に投げつけたりで、胞子の煙を眺めて楽しんだ。そして花の蜜を吸いに庭にでて、かたっぱしから花を引き抜いた。蜜は花びらの奥にあった。ちゅうちゅう吸いながら表にでた。いつものように年長の少年たちと遊んだ。かれらは木のうえにパレットを置き、基地をつくってた。わたしも乗せてもらい、その眺望を愉しんだ。
 ある休日父以外の全員で西脇にいくことになった。母の郷里であり、横尾忠則の郷里だ。母の実家は機織り工場がくっついた大きな日本家屋だった。わたしの愉しみは伯父の部屋にある漫画だった。石森章太郎の「仮面ライダー」があったんだ。しかし残念なことに途中までしかなかった。ちょうど一文字隼人の部屋が爆破されたところで終わってた。漫画の文庫化ブームはまだ来てはなかった。わたしは姉妹と一緒に駄菓子屋にいき、飛行機のおもちゃを買った。側溝ではきれいな水が流れ、春の光りに溢れてる。しかしわたしはどうしても祖母が好きになれなかった。いつのことだったかはわからない。ただあるとき、わたしが姉妹の遊ぶ室に入ると、ふたりが大きな悲鳴をあげ、飛び込んで来た祖母が故も訊かず、わたしをねじ伏せ、右手の親指をライターで焼いたからだ。わたしがいったいなにをしたのかはわからない。どうにもこの祖母はやっかいな存在だった。たとえばわたしが父の本──レタリングの本に熱をあげてたら、それをとりあげて隠してしまった。わたしはそれをまねて絵を描くのがほとんど日課になってて、自身にとって大事な遊びだったのにだ。わたしはわたしを阻もうとするものの正体を知りたがった。しかしどうしようもなかった。だれもなんにも説いたりはしなかったからだ。
 いっぽう学校では言葉の問題で苦しめられつつあった。教師がいった、──将来なりたいものはと。みんながすらすら答えていくのにわたしはつまってしまった。そしてだした答えが「普通のひと」だった。浜崎からすれば大変耳障りな発言だったらしい。かれは難じ、詰問した。どういう意味かというんだ。わたしは答えられず、泣いてしまった。かれは憤然としてそれに応えた。しかし、わたしは自身が普通でないことをこのときすでにわかってたんだ。ひととおなじようにできないことが、集団に従えないということをだ。幼稚園での数々の行い。だが、悲しいこと、それを言語にする智恵はなかった。哀れなるミツホよ、おまえは一生理解され得ないのだ。机のうえに飛び散った泪のつぶが電光に照らされ、そのなかにちいさな自身の顔をみつけて恥ずかしくなった。みんな、おれを寝小便でもかましたみたく眺めてた。
 それからしばらくしてまたおなじような眼に出会った。母が近所の公園にでた不審者について話してた。公園に車で乗りつけ、フェンスに蒲団を干し、子供をじろじろみてたらしい。しかし、これを浜崎に話すと、かれは浮浪者をばかにしてると受け取った。またしても不毛な私憤に煽られ、為す術はなかった。今度もわたしは失敗作として名指しされることになった。どうしてみずからの行いが、こうも喰いちがいを産み、そしてわるいほうにむかっていくのかがわからない。祖母にやられた灸みたいに、それはもはや言語を飛び越えてしまってた。塀のむこう、手の届かない方向へと去ってったんだ。
 あいもかわらず、わたしには友達がなかった。欲しいとはおもってた。けれど話しかけてくれるのもいた。岸本健祐というやつが、粘土をつかった授業のときにいった。
   これがジェット・コースターだろ?
 かれが粘土の塊りを示す。
   これがおまえのかあさんだろ?
 さらにちいさな塊りを示す。そしてジェット・コースターごと、机に叩きつけた。ガガガーーン! なんてことをとわたしはおもった。こんなことをいうやつははじめてだ。動揺してしまう。しかしそれを知られては負けはあきらかだった。だからわたしもやり返すことにした。
  これがおまえの家だろ?
 かれは首をふった。
   いいや、ちがうね。
  ちがわないな。
   ちがうね。ただの粘土だ。
  こうさ!
 わたしは四角く成形した粘土を平手で潰した。でもやつはわたしをほったらかしてどっかにいっちまった。けっきょくわたしはひとりで一台の自動車と、人間をつくり、提出した。じぶんでも最高の出来だったが、ある日公園で人間のほうをなくしてしまった。どこを探してもなかった。
 その年の誕生日。わたしはトミカの飛行機を贈られた。誕生会がひらかれ、近所の子供たちやその親が集まった。会が終わって飛行機に触った。毀されてた。怒りの矛先もなく、ただぢっと毀れた玩具をみながら、もうだれもじぶんのものには触れさせまいとおもった。しかし、そんな矢先、またしてもやられた。ある日曜の朝だった。わたしは買ってもらったおもちゃの刀をもってそとを歩いてた。そこへ中井竜之介と吉村大輔がきた。ジャイアンとスネ夫だ。そしてわたしはのび太だった。あッというまに刀を中井が没収してしまった。ふたりは走り去り、わたしは追いつけなかった。刀をようやくみつけたとき、それは道の脇におかれた建設残土のなかに埋められてた。土で汚れたそれはもうわたしのものではなかった。家にもちかえったものの、もう触ることはなかった。
 中井の家でも誕生会がひらかれた。わたしも呼ばれてしまってた。やつへの贈りものを撰ばなければならない。母と西友──もとはニチイだった──で探した。ちょうど欲しいものがあった。車の、プラモデルのついた食玩だった。けれど、探してるのは怨めしくて恐ろしい中井への贈りものだ。けっきょくそいつをふたつ買ってもらった。ひとつは中井に、もういっぽうはわたしにだ。うまくいった。誕生会はひどく退屈だったが。やつはありがとうのひとこともなかった。ただただへらへらしてるだけだ。わたしは急にばからしくなり、だれよりも早くその場をあとにした。
  学校、体育の時間。砂場で相撲をとることになった。男女一緒でだ。わたしの相手は東川真由美だった。かの女にはとても触れられなかった。あっけなく倒され、笑いものにされてしまった。
 第三のあこがれについて話そうとおもう。それはファミリーという六年をリーダーとして六人で行うグループ活動でのことだ。わがリーダーは愉快なやつで、グリーンハイツに棲んでた。生野高原をあがった、丘のうえの住宅地だ。あるとき、リーダーが糊のついた画用紙を手にわたしを追いかけてた。そこへ六年の女子がやってきてリーダーを咎めた。そしてわたしに笑顔をむけ、慰めようとしてた。かの女の顔には産毛がたくさんあって、がっかりしたけれど、とても惹かれた。一年の終わり、校庭で最後のファミリーがあった。かの女に渡すためのプレゼントを拵えてきたが、かの女をみつけることができずに校庭をあとにした。