4.13.2014

写真詩集「38wの紙片 中田満帆詩撰集」購入方法


 装丁・写真/中田満帆
 撰・跋文/森忠明(詩人/童話作家)

収録作=

  38w(「Feelin'Bad Blues」改作) 8 
  ふるえ 11
  港 14
  失踪人 17
  e・e・カミングス 21
  JRA 25
  点描 29
  運転手求ム 32
  うまくやりおおせればいい 36
  交尾 39
  業務スーパー 42
  箒 46
  襟がゆれてる。 49
  テールランプ 53
  ヒッチ・ハイク 56
  映画「初恋地獄篇」によせて 60
  芝居 63
  地域清掃 66
  壁 69
  死んだ馬にまたがって 72
  埋葬 75
  空域 78
  火についての断章 81
  裏口 84
  茎 87
  猫 90
  清掃人 92
 
 メール nakata_mitsuho@hotmail.co.jp または 電話 090-8166-3989 に氏名・送り先を連絡後、
 三井住友銀行・藤原台支店 普 7489267 へ1600円ご入金ください。

3.22.2014

監獄の病者たち/断片



 「自由こそ治療だ!」という本があった。そいつによると精神科医であるフランコ・バザーリアが精神病院を解体したのは、一九七八年にバザーリア法が制定されたイタリアでのことだという。バザーリア曰く「わたしたちが数年前病棟を開放し、患者を外出させたり、住民を病院に招待したとき、街全体は恐慌に陥った。そのため当時、町は精神医療という現象に直面することになった」という。わたしは皮肉にもアルコール中毒専門の精神病院である新生会病院でこの本を知った。当時二十六歳を目前としたわたしは疲弊し、大阪は西成区役所に助けを求め、ようやく和泉中央への切符を手に入れた。精神上の飢えを癒せるかとおもきや、与えられるのは薬と薬と薬だけであり、ほかの患者たちも適当に雑談をするのみで、なにもなかった。
 定期的に酒害体験発表がおこなわれる。つまるところ口の運動か、もしくは音声学の一種である。たとえばひとりの人間が語るとき、もはや喋ることは決まっていて毎回おなじところからはじまり、おなじところで切りあげられてしまうのだ。まさに酒にまつわる事象のなかでしか生きてこなかったように、奥行きのない話しがつづけられる。医者たちは無言だ。わたしの場合はとくに精神上の病いが複数かさなっており、語るならば産まれてからの一切を話さなければならないのに、とてもそんな状況にはなかった。そのうえカウンセリングもない。
 当然その状態で酒を断つのはむりなことだ。わたしは飲酒した。そして三度発覚した。医者たちは無抵抗のわたしを白い鉄格子のむこうに閉じ込めた。そこにあるのは帆布の寝台と、床にあいた小さな穴、便所紙、半端な大きさのアクリル板だけだ。天井にはきつい照明がひとつあった。看護婦はいない。飯のときを除いてだれもそこにはやって来ない。硬くざらついた帆布に横たわり、本を読むことも禁じられ、形式だけの反省を強いられる。そしてアクリル板で隠されてるといえ、廊下からまる見えのところで用を足さねばならないときた。それを三日間行う。まさに懲罰であり、拷問に等しい。こういった行為が平然とあるなかで「自由こそ」ということばの響きはまことに甘美な虚無でしかなかった。
 医者たちはいちどでもあそこに入ってみたことがあるのだろうか。三日間なにもできず、鉄格子をまえにして排泄するということを体験し、真に効果を見いだした、根拠を裏づけたものがあるのだろうか。問うまでもないことだ。なにも知らないからこそできる行為なのだ。「精神科医の教育とは拷問人としての教育に等しいのだ」ともバザーリアは語っている。和気先生、こういった諸問題について主従関係なく語ることがあなたにできるだろうか?──Per favore, Buon lavoro. けっきょく患者を悪循環に浸らせ、病者をさらに病者にしておこうという策にほかならないのではないだろうか。

2.05.2014

第二詩集、入稿

火曜日

 きょうようやく第二詩集の入稿を終えた。たった六冊でも13,650円もかかった。師匠の森先生からは「立原道造だって初版は10部だったんだぞ。中原中也なんて受注生産ってのに注文が来なかったんだからな」と仰る。しかしわたしにはかれらのような才気には乏しい。そう自覚するからこそ現実が寂しく、過古への郷愁がやまないんだ。なんだか悲しい。
 来週の月曜日は仕上がる予定だ。

「死んだ馬にまたがって」

 かぜに
 なぶられ
 路上
 にすりきれ
 立ちあがることも
 できず
 おもいだすのは舞台のうえのきみ
 ほかの客たちは
 きっと
 ひやかしに
 ちがない
 でも
 ぼくはいつまでもいたかった
 かぜは
 きりきざむ
 新聞記事を
 なんでそうなってしまうのか
 なにもわからずに
 でもひとつ
 ささやかな
 夢を描いて
 舞台のうえのきみを
 ほかの客たちはからかった
 きっと
 ばかものに
 ちがいない
 ただ
 ぼくはいのこりたかったんだ
 できれば馬に
 またがって
 いますぐ馬に
 またがって
 町をぬけだそう
 でもそれは死んでて
 走りそうにはない

1.19.2014

日記

1/14

 粗悪な食事のせいか、顎に皰ができてしまった。胃の具合もわるい。きのうはほとんどボルトネック奏法を試すのに費やした。ただし調律は変えなかった。制作中の楽曲「うまくやりおおせればいいけれど」の間奏に使用しようとおもってだ。
 アルバムの中核曲になるはずだった曲、「だれもない待合室」は歌詞を変更することにした。より抽象度の高いものへと変えた。曲自体も短縮。なんせソロを入れるすきまがないのだから。

1/18

 きのうようやくにして「海」改め「海辺の叙景(題はつげ義春の漫画よりイタダキ)」のドラムトラック完成。間奏のフレーズも決まった。この曲はもう十年まえから試行錯誤だった。
 昼前Joy Divisionの「Heart and Soul」が届く。さっそく聴いてみてややがっかり。オリジナルアルバムの構成を破壊してしまってる。一枚めに21曲も収録するのはどうかとおもう。くどいのだ。素直にオリジナルアルバム二枚と未収録集、デモ音源で四枚なら納得がいくのだが。最後のライヴ音源は正直蛇足。
 映画「My life without me」雑感。主人公のおもうようにことが進みすぎてる。おなじ監督の「talk to her」のような複雑な感情の流れもさしてなく、主人公の死に向かっていく姿勢はほとんど変化がない。なにもかもお膳立てがそろいすぎてるような気に捕われる。一般大衆向けの浅く短い作品という印象。

1/19

 朝、楽曲「だれもない待合室」のドラムを書き直す。しかし力尽きて眠る。昼、森忠明に電話。序文についてのやりとり。そのあと詩集のサンプルを手製本で仕上げる。うまくはいかなかった。まあ、あとはプロの腕にまかせるしかない。しかし予算なく、貯金するのもむつかしい事態にある。さて来週、どうやって乗り越えようか?──とりあえずは雑誌の執筆依頼のために数部印刷及び製本するにとどめるか、あるいはエフェクターを買うかだ。
 きのう西村玄考氏、わが室に来る。四時間も喋った。正直だいぶ消耗した。普段まったくひとと会わないからだ。これからはもっと間口を広げよう。とにもかくにもあと半年しか時間がない。


1.16.2014

第二詩集「38wの紙片」と出版局「a missing person's press」

 もうじきわたしの第二詩集「38wの紙片」が、わたしの立ち上げた出版局「a missing person's press」から刊行される。この詩集は雑誌「for MISSING /the magazine」の執筆願いとともに配布され、そのほかは販売する予定だ。きょうの午后依頼してた師匠による序文が届いたので、わたしのあとがきとともに公開する。

ゼロの殺処分
                     森忠明(詩人/童話作家)

 私の弟子たちのうち、いちばん礼儀正しかったのは酒鬼薔薇聖斗であり、いちばん無礼だったのは中田満帆である。二十歳前後だった神戸出身の両者に共通したのは、人間があまねく相続している二種の遺産、「呪い」と「ことほぎ」の比率が前者にうれしく傾きすぎていることであった。私は「病人」以外の文学や、宿業と恥辱の単位を取っていない若者には興味がない。
 十九歳の中田満帆が入門してきて十年、狂にして直ならぬ多形性倒錯的エクササイズのオンパレードに一番弟子たる園田英樹は、「あの男を切るべきです」と、ピカチュウが激怒放電するごとく言い放ったりした。中田満帆のマルチクリエーターぶりを面白がり、微笑をもって評価したのは当時中学一年生の我が娘ぐらいなもの。
 さらに無礼なのは当人だけでなく、彼の父君は『寺山修司選・森忠明ハイティーン詩集』をゴミに出してしまったのだそうである。それでもなお今日まで破門できなかった理由は、私が選んだこの詩集(初期のテロル詩というべきものは省いた)を読んでもらえば分かるかもしれない。
 彼は一時、マニ教でいう悪魔の苦渋"酒"に溺れ、飯場のメチャコワ法則に脅され、旅芝居の親方にヤキを入れられたり、どんな一流大学でも体得できないことを破局寸前まで味わうのだが、その命および敗者の気品を終始守護したのは、生まれつきの道化性と、これらの復讐天使代行詩群であったはずだ。

 大昔(一九六七年)、十九歳の森忠明は、「集団出世をしよう」とのたまう師に対し、「無意味を確認するためですね」などとほざいて白けさせ、近年は中田満帆に無名のエクスタシーを説いて失望させたけれど、「世界の再魔術化(プラトン)」、つまりゼロの魅力回復を信じているらしい師と弟子の、無制約、無懲戒、純粋遊戯に、いささか生かされていることを白状する。

                 二〇一四年一月一三日 寝流庵にて


あとがき

 29年にもなる人生のなかでさんざやりこめられ、吹き流されてきた。花に嵐の喩えをいやというほど味わってもいる。27番めの晩秋、ようやくにして流れものの暮らしが終わり、アパートメントの三階に居を定めた。そしてわたしがはじめてやったのは、短篇小説の執筆と絵葉書の制作販売だった。幸いにもちかくの新古書店「Books Curlis」が売り場を提供してくれた。なんたる吉報!──とおもうのもつかのま店は移転計画のために閉じられてしまった。次にわたしは冊子形式の詩集「終夜営業|Open 24 Hours|発送受付」を書き下ろし、いくらか金を手にした。もちろんのこと、元手なんざ穫れるわけがない。インターネット上の詩人たちが買い、あとは配布するにとどまった。そして1年わたしは沈黙した。幾度かを病室で過ごし、不在感に蝕まれつつある自身をただただ儚み、涕さえした。わたしは生来にしてどこにいようとも、どこにもないという触りがやまず、耐えがたかった。去る年の雨季からようやく詩を再開させた。気分にまかせて題をつけ、あとはそいつがひっぱってくれるのを待つだけでよかった。ほとんど澱みを知らないみたいにやらかして作品はしあがってった。
 そして冬になった。森忠明は電話口でいった。曰く「同人誌をやりなさい」と。しかしここで告白するにわたしは同人誌という語にひどく反発を憶えた。詩文学のつどいがどれほど閉じられた、同類同士の、魂しいのカマの堀りあいかをさんざ見せられてきた身にとって、詩だけの、文学だけの連中には厭いてしまってた。純粋藝術なんざ、とっくに終わってるんだ、もっと雑食性のある場があっていいだろう、どうして詩だけがはじきだされなければならないのかってことをおもった。それで考えついたのが出版局「a missing person's press」だ。そこではなんでもありにしたい。しかしだ、いちばん大事なものは記名性だ。インターネットはおろか、まっとうな詩誌ですら、ちゃちでばかげた筆名のが跋扈して、だぼらを吹いてまわってる現実で、どれほど身を賭して駈けるかだ。日々は丘を越える野生馬のように走り去る。かれらはインターネットや詩壇なるものに巣くう蠅どもなんか気にもとめやしない。この詩撰集は出版局ならびに雑誌「for MISSING/the magazine」へむけた案内人であり、発火点になるだろう。閉ざされながらも、しかしやり遂げようしてるひとびとをわたしは見いだしたい。でも、わたしだってたかが知れた存在だ。失敗もある。そんなときは腕のたしかな鍛冶屋を紹介してくれ。自己と他者の二重否定や、ひどくありふれた嫌悪やこっぴどい宿酔いを叩き治してくれるところをだ。それでは失礼──愉しんでくれるのを願ってる。ああ、そうとも。



12.30.2013

死んだ馬に跨って A Stranger was standing on "facebook"

     

  もしもやろうとおもうならやりとおせ
  さもなくばやめちまえ
  それで恋人を喪おうが
  妻を喪おうが
  職を喪おうが
  たぶんみずからの理性さえ喪おうが
  公園のベンチで凍えようとも
  二、三日喰えなくとも
  豚箱に入れられようとも
  あざけられ、
  徒労を味わい、
  孤立になろうとも
  孤立は贈りもの──チャールズ・ブコウスキー


 遊びは終わった。追い込み馬たちは厩舎に眠り、ルンペンどもは塵棄て場や、厚生センターにちらばる。ただ年がかわるというだけに戦車みたいな群衆がぶっかっこうで、みじめなものに眼を輝かし、普遍性という毒をたっぷりと浴みる。
 基本としてこの場での書き込みはひらかれたものだ。だれがみたってかまやしない。きょうはここでの出来事について話したい。まずいって黙殺されることにほとほとつかれたということだ。幼友だちとは縁を切った。かれらの無反応ぶり、充足ぶりにあきあきしたからだ。もちろん、どんなメッセージもみえなかったことにできる幸せな人生ってやつにもだ。数に酔ってくだらないことを書き潰している連中にもあきあきしてきた。むろんかれらだって普通の生活人だ。いいことばかりじゃない。たがわたしみたいな、あらかじめ普遍性を喪って生きてきたものにとっては、我慢がならない。学習障碍とさむざむしい家庭、発話のつづまりが、あらゆる無関心と黙殺とがわたしを成形してきたからにほかならない。それにくらべれば大変幸福にみえてしまう。近視眼的思考、そのものだ。未成熟な精神をもてあましてしまう。いまのように。
 なぜかれらのように普通になれないのか。わたしは小学校一年のころ、「将来なりたいもの」との題に「普通のひと」と答えた。担任は威圧した。「なにをいってるんだ、みんな、普通のひとだ」。説明できずにわたしは悔しさで机を濡らした。わたしは自身がほかとちがうのを気づいてた。幼稚園で脱走をくり返し、指導に従わず、友だちがいなかったことを薄々ながら、おもいだしてたんだ。そんな話しはどうだっていい。万年いじめられっこで、吃りの少年。毎年好きな子から面罵されてた。父の権力は増大していき、母が存在がみえない家のなかで、しだいにわたしはいちばん下にいた。姉、そして三人の妹たち。下男みたいな扱い。ちなみにわたしは姉の結婚をここではじめて知った。話しがそれてきたが、ようはかれらだってわたしを拒絶することはたやすいことはずなんだ。だのに無視でかづけてしまう。それがどういうことだか、まるでわかってないのである。おれなんかよりも成績のよかったかれらがだ。
 たとえばメッセージにしろ、リクエストにしろ、拒絶できるのだから放置せずにそうするべきだ。それを放置してどうなる? 相手はきらいだが、じぶんはきらわれたくない、なにがなんでも自身が悪役のようになるのはごめん蒙るというわけか。
 以前ある女性にわたしは死をほのめかしてしまった。十七年好きだったひとだ。かの女は咎めたていった──「命を粗末するひとはきらいです」。けっこうなせりふである。しかしかの女にしたってひとをおきざりにしたままに拒絶さえしてくれない。先だってかの女の友人に頼んで謝罪の文言を託けてもらったが、それにも答えてはくれないとくる。なるほど、命はだめでも、存在を粗末にすることは赦されるんだ。相手がどんな気持ちでまってるかはどうだっていいんだ。わたしは幼いころから無視されることが多かったから、せめてじぶんはしないことにしてたが、それももはや限られてきたようにおもう。できればわたしも無視できるようになりたいもんだ。お手本ならいくらでもいる。
 年があけてから数日、そういった黙殺を働くひとりにことばをかけてみた。相手はおなじ神戸市北区は生野高原で育った女で、家もちかく、廃ダムへの坂道からすぐのところに家があった。いまではだれも棲んでない、草木に覆われた不気味なあばら家だ。小中とおなじで、山口中学校では姉妹そろって吹奏楽部に属しており、北六甲台小学校の六年ではおなじ組だった。何度か話したこともあり、わたしの片思い女の子の親友でもあった。タイムラインを覘くと、わたしの知人たちを数人、承認してた。
 「あけましておめでとうございます。そしてリクエストを無視及び黙殺してくださって猶ありがとうございます」
 「明けましておめでとう☆☆リクエストはごめんなさい。絵を描き続けてるんですね。頑張ってください」
 「お嫌ならお嫌で放置せずに拒否を示さないと失礼ですよ」
 「スミマセンでした。使いこなせてなくて」
 「小野さん、いいたくはないけれどすみませんなんておもってないだろう。すみませんということがどういうことか知らないんだ。おれは知ってる。ここでもさんざ黙殺されてるし、昔からきらわれてるのは知ってるが、なんでだれかも拒絶の態度をはっきりとしないんだ?
みずから情報を発信するということについて無頓着で野放図すぎる」
 「無頓着で傷つけてしまいごめんなさい」
 「おれのほうこそすみません。じぶんの身分を忘れていました」
 「和解できて良かったです」
 (和解? だれがだれと?──ためしにもういちどリクエストを送った)。
 「承認できません。ごめんなさい」
 「やっぱりね。最初から理由添えてそういってくださればいいんですよ。少なくともお互いに間接的ですが、おなじ場所──学校、生野高原にいたわけですから。最近星野くんを承認されたみたいですけど、わたしのどこに問題があったのか、指摘してほしいんですよ。たんに嫌いなら、それでかまいません。わたしは怒らないのでかまわずにどうぞ仰ってください」
 「仲良かった人しか承認してないんです。ごめんなさい。もぉこれで、メールも最後にします。絵を描くの頑張って下さい」
 この女ははじめからそういえばいいんだ。それをしないからいたずらにひとを弄ぶことになっちまう。なんともおそまつで鈍い。そんなかの女でも、小六のときには給食中にひとりで食べてるわたしを誘ってくれたりもしたんだ。それがこんなにも冷たくかわり果ててるとはおもわなかった。普段の生活でもおそらくは「スミマセン」と「ごめんなさい」ですべてを片づけられるとおもってるにちがいない。さびしいものである。哀れなものである、かの女の夫もかの女の子供も、両親も。こうもたやすく他者を切って棄てられてしまえるさもしさ。これは想像力のなさにあるのか。
 わたしに他人を非難する資格はない。しかし赦すこともできやしない。身動きがとれない、情動に左右され、文章は穴ぼこだらけ。つくるものはどんどんと色あせる。作品が認められても、わたしという人間は受け入れられない。そう絶対にどの共同体にも加入することができない。孤立。懐かしいひとびとはわたしを悉く黙殺する。拒絶さえしてくれない。みんな、いいひとでいたいんだ。ならわたしはやはり悪人になるしかない。
 インターネットは実現実よりも、さらに排除の理論、黙殺することへの慣れが表れるので、人間性を審査するのには案外うってつけかも知れない。しかしわたしはもう少年期の反復はたくさんだ。くそを喰わされるのはたくさんというわけだ。「過古は他国」と寺山修司がいったように、「去りゆく一切は比喩に過ぎない」と引用したようにこういった連中への郷愁をかなぐり棄てなくてはならない。わたしが信用できるのはけっきょく記名性をもった、たしかな創作者だけだ。作品によっていつか容赦なく、かれら、かの女らを知らん顔で破壊してみせる。容赦はしない。できないんだ、もう。黙ったまんまの善人になって損をするのなら、素直に発言して悪人になったほうが得るものはきっと多いはずだろう。
 森忠明は作家志望のスチュワーデスにこういわれた。「サカキバラセイトが近くにいてもわたし、無視します」。そのひとことでかの女は破門され、六年もの師弟関係をぶちこわしにした。森曰く「この世に無視できるもんなんかない!」。然り。ひと殺しはかんべん願いたいが、それでもじぶんにむかってくる存在には応えたいもんだ。だってそんな存在こそ貴重だからだ、わたしにとって、この故障馬にとって。
 こんな話しもある。門田という男がわたしにリクエストを送ってきた。承認した。写真をみるかぎり、喧嘩好きそうな男で、柄も品もない。下っ端の建設業者らしい。わたしがどこでかかわりがあったのかをばか丁寧に問うたが、答えもしないときた。そして厚顔にもあたらしいアカウントでまた申請にきたのだから性質が知れてる。数を増やしたいだけなんだ、この玉は。ひとをひととはおもってないんだ。しかしだ、かといって実現実での関係性が正統なるものともおもえない。どうにもその場の空気によって支えられた、パントマイムのように感じられてならないんだ。あらかじめ決められた順路をたどってるだけのものに過ぎないようにみえてしまう。
 アントニオーニの映画「欲望」は終盤、主人公のカメラマンが白粉顔の連中がテニスのマイムをやってるのに出会す。そしてみえないはずのこぼれ球をかれは拾いあげ、投げ返してやる。そしてテニスはつづけられる、──といったところで終わる。ひとびとをみてておもうのは、あのテニスそのものだ。ことばにも表情にも意味はなく、ただ決まったのをこなしてるだけ。まったく笑えもしない。けっきょくは余計な回路が増設されただけで、わたしはあいもかわらずに孤立してる。懐かしいひとびと、かれらのいずれもボールを投げ返してくれない。失われた球はいったいどこへ着地するのだろうか。空中をさまよい、そのまま固定されてしまうのか。
 最後にちょっとした真理を披露しておわろう。寺山修司はその晩年「墓は建てて欲しくない。私の墓は私のことばであれば、充分(絶筆「墓場まで何マイル?」)」と記した。それでも死後墓は立てられてしまった。森はそれを指して「ひとが真剣に書いたものを真剣に受けとらない人間がまわりにいたのが、寺山修司の不幸」といった。わたしはふざけてるようなときでさえ、言葉を撰んでる。失敗がなかったとはいえない。だがやれるだけのことはやってるつもりなんだ。わかってくれ、兄弟。どうせほんとうの友だちなどいないのだから、わたしにはなんとでも書ける自由がある──「友なきを友とせよ」。それにつきるのではないだろうか。
 口さがないものいいをくり返すが、わたしは何度でもボールを投げるつもりだ。そこが決してだれも立ち入らない荒れ野であったとしても、その意思がいま必要だ。

 またも徹夜。
 ではブエノス・ノーチェス!

12.26.2013

日記

12/15

 きょうも「海」の間奏に費やした。より音数を削って歌を際立たせるようにした。またもオープンのコードの乱用だ。じぶんはタフではないから、つねに心を低く構えなくてはならない。わが師森忠明はわたしを担ぎすぎだ。もう「才能がある」、「タフだ」などといわれて舞い上がる、齢でも状況にもない。だってわたしは普遍性に焦がれる、ただの弱い生きものにすぎないのだから。気がつけば泣き虫になっていた。昨日とどいたJames chance & The contortionsやなんかを聞きながら可能性を探る。しかし普通のひとはこんなことをせずとも、ちゃんと暮らしていけるのだ。できそこないにはそれができない。
 それでも最低限いまのアルバムと地下雑誌はなんとかものにしたい。それでなにもかも喪ったとしてもだ。男やもめに残されるのは花か灰のちがいでしかないからである。

12/16

  七月の雑種のような気分。ただしいまは十月だが──チャールズ・ブコウスキー「死をポケットに入れて」

 なるほどとおもうときがある。おれの人生などこんなものかと。最近は寝たきりだ。きょうは酒を呑んでしまったからデモ録音はなしになった。ただ夜になってサウンドチェックをし、岩明均「風子のいる店」を読む。このまえの押見修造「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」につづいて、吃音の少女の話し。わたしも吃音に悩まされてた。理由は簡単だ。ひとが怖かった。いまだって直りきってはない。
 夏場にビールのいっぽんもありつけず、室のなかでさまよってるときをおもう。われわれはみな孤独だ。けれどそれを通り越したものは限られてる。おれの親父はかつていったものだ。「おまえはおれより早く死ぬ」。その通りだ。ほんとうに正気なら、とっくにこの人生を塵にしてる。だがわたし自身の存在が疎まれようが、作品を赦してくれる人物は少なからずはいる。生きるあてはそれくらいもの。
 まあ、休み休み。来年の半分までには。

12/19

 きょうはひとに送るために文章を整理した。この二年間の活動をまとめている。そろそろ「一太郎」の試用期間も切れる。しかし今月買えそうにない。まだ小説の校正も残っているしで、頭がいっぱいだ。以下はそのなかのひとつだ。

12/20

 きょう郵便をだした。作品集だ。散文もようやくなれてきたので四篇のみ入れた。詩は大半を改修し、小説は三篇に絞った。残りはいずれだ。あとは配布用詩集と地下雑誌の企画書、執筆願いを書きあげなければならない。とにかく時間がない。音楽のほうではベースの修理と練習がまっているうえに作曲の指南書も必要だ。あとはJoy divisionをコピーしよう。バーナード・サムナーとピーター・フックの両方ができる。きのうは徹夜だったから、きょうはもうお休みだ。

12/24

 身動きのとれない日々がつづく。終わりのないところに迷いこんじまったいみたいにだ。創作のほとんどは停滞し、いまは来年創刊するリトルマガジンのために見本作品集をつくっている。これは文藝だけでなく、イラストやエッセイも入れるのでコストがなによりも心配だ。来月はベースのリペアもあるしで、厳しいもの。

12/26

 おもてを消防車が走り回って、わめきちらし、通りを怒り狂った牛みたいに過ぎていく。赤い旗をだれかふってやれ。信号機は雨のなかで栄光を誇り、だれもいないところを照らしてる。わたしは傘を持ってない。あいくにく夕飯は残りもののスパゲッティときた。
 森忠明からの忠告、あんたのエッセイのように小説を書きなさい、中井久夫を基準にしなさい、人称は統一しなさい。いくつかの本とCD、そしてアナログディレイを買った。そして配布詩集の雛形を完成させた。あとはベースとギターの練習だ。無料のTABをネットで見、休み休みに本をとる。中井久夫「世に棲む患者」。まだその味わいはみえてこない。ベルベッツを聞き、料理に取り掛かる。精神はあっても感情がない。きょうもだ。


12.19.2013

インターネットと詩人についての断片(再編集版)


                                                         あぶれものの、あぶれかた──私見、局外者と記号的空間の関係



いわば情報社会における人間相互間のスパイである
                                                       寺山修司/地平線の起源について(「ぼくが戦争に行くとき」1969)




 小雨のおおい頃日、わたしはわたし自身を哀れんでいる。あまりにもそこの浅い、この二十七年の妄執と悪夢。なにもできないうちにすべてがすりきれてしまって、もはや身うごきのとれないところまで来ている。あとすこしで三十になるというのにまともなからだもあたまもなく、職までもないときている。そのうえ、この土地──神戸市中央区にはだれも知り合いすらいない。もっとも故郷である北区にだってつながりのある人物はほとんどない。
 わたしが正常だったためしはいちどもないが、日雇い、飯場、病院、どや、救貧院、野宿、避難所──そんなところをうろついているあいまにすっかり人間としての最低限のものすら喪ってしまい、もうなにも残ってはいないような触りだ。ようやくアパートメントに居場所を手にしたが、ここまできて正直をいえばつかれてしまった。回復への路次を探そう。
 考えるにインターネットは人間の可能性への刺客──同時に人間関係への挑戦状であって、その接続の安易さによっておおくの創作者をだめにしている。しかも偶然性に乏しいく、なにか出会うとか、現実に反映させることはむずかしい。広告としての機能はすぐれているが、単純に作品を見せるにはあまりにも余剰にすぎるのだ。
 無論、巧く立ち回っているものもいるし、もちろん、これは社会生活から、普遍から脱落してしまったわたしの私見に過ぎないのだが、この際限のないまっしろい暗がりのうちでは、なにもかもが無益に成り果てる。作品のあまたがあまりにも安易にひりだされ、推敲はおろそかになり、他人への無関心と過度な自己愛を、悪意をあぶりだされ、あらわにさせる。せいぜいがおあつらえの獲物を探しだし、諜報するぐらいではないのか。創作者のなかには好事家もおおく、無署名でだれそれの噂話しをしているのをみかけた。
 そのようなありさまで現実でのあぶれものは、やはり記号のなかでもあぶれるしかないのである。身をよじるような、顎を砕くようなおもいのうちで意識だけが過敏になっていき、あるものはその果てにおのれをさいなむか、他者に鉈をふるうしか余地がなくなってしまうのだ。やはり現実の定まりをいくらか高めたうえで、少しばかり接するほどがいいらしい。
 寺山修司は映画「先生」について述べている。曰く《先生という職業は、いわば情報社会における人間相互間のスパイである》と。先生をインターネットにおきかえても、この一言は成り立つだろう。おなじくそれは《さまざまな知識を報道してくれる〈過去(エクスペリエンス)〉の番人であるのに過ぎないのである》。ほんとうはもっとインターネットそのものに敵意を抱くべきなのだ。それは生活から偶然を放逐し、あらゆる伝説やまじないを記録と訂正に変えてしまった。しかし、《実際に起こらなかったことも歴史のうちであり》、記録だけではものごとを解き明かすことできないのである。〈過去(ストーリー)〉のない、この記号と記録の世界にあって真に詩情するというのは、現実と交差するというのはいかなることなのか、これに答えをださないかぎり、ほんとうのインターネット詩人というのものは存在し得ないし、ネット上に──詩壇──くたばれ!──は興り得ないだろう。俗臭の発ちこめる室でしかない。
 わたしはあまりにもながいあいまにこの記号的空間にゐすわりつづけた。そのうちで得たものよりは喪ったもののほうがおおい。現実の充足をおろそかにし、生活における人間疎外を増長させたのだ。詩人としての成果といえば、中身の乏しい検索結果のみである。あとは去年いちどきり投稿した作品が三流詩誌に載ったくらいだ。原稿料はなし。
 わたしはいやしくとも売文屋や絵売りや音楽屋や映像屋になりたかったのであって、無意味な奉仕に仕えたいわけではなかった。
 しかしこの敗因はインターネットだけでなく、わたし自身の現実に対峙する想像力と行動力の欠如にあったとみていいだろう。けっきょくは踊らされていたといわけだ。このむなしさを克服するにはやはり実際との対決、実感の復古が必要だ。想像力を鍛えなおし、歩き、ひとやものにぶっつくことなのだ。そうでなければわたしは起こらなかった過古によってなぶられつづけるだろう。 
 不在のひびきが聞えてくる。いったいなにが室をあけているのかを考えなければならない。対象の見えないうちでものをつづるのはなんともさむざむしい営為だ。創作者たらんとするものは、すべからく対象を見抜くべきだ。見える場所をみつけるべきなのだ。
 わたしのような無学歴のあぶれものにとっては技術よりも手ざわりを、知性よりは野性をもってして作品をうちだしていきたい。というわけでいまはわたし自身による絵葉書を売り歩いているところである。そのつぎは手製の詩集だ。顔となまえのある世界へでていこう。
 それははからずもインターネット時代の、都市におけるロビンソン・クルーソーになることだ。──小雨のうち、いま二杯目の珈琲を啜る。午前十時と十三分。ハウリン・ウルフのだみ声を聴きながら。詩人を殺すのはわけないことだ。つまりそのひとのまわりから風景や顔や声を運び去ってしまえばいいのである。そしてすべてを記録=過去(エクスペリエンス)に変えてしまえばいいのだ。文学はつねにもうひとつの体験であり、現在でなければ読み手にとっても書き手にとってもほんものの栄養にはなりえないだろうとわたしは考えているところだ。
  夏の怒濤桶に汲まれてしづかなる──という一句があるようにインターネットはあくまでも海という過古をもった桶水の際限なき集合であり、現実や人間の変転への可能性はごくごく乏しいものなのである。

                                           ひらけ、ゴマ!──わたしはでていきたい(スタニラス・ジェジー講師)。


 わたしの気分はこれそのものにいえるだろう。まずはネットを半分殺すとして、ぶつぶつとひとのうわさにせわしない、好事家よりもましなものをあみだす必要があるだろう。また紙媒体の急所を突くすべをあみだすことだ。ともかくこれからなにかが始まろうというのだ。最後にもしもインターネットになんらかの曙光があるとすれば、そこにどれだけの野性を持ち込めるかということだろう。
 集団や企業によってほぼ直かにいてこまされることが前提となっている、あるいはだれにも読まれないことが決まってる、記号的空間のうちにどれだけ、もうひとつの現実を掴むことが重要な段差として展びていく。──けれどそいつはほかのやろうがひりだしておくれよ。
おれはいま、しがない絵葉書売りに過ぎない。ふるいアパートメントの階段がしっとりのびていき、その半ばへ腰をおろすとき、はじめに見るのはおれの足先だろうか、それとも鉄柵よりながれこむ光りだろうか。

12.18.2013

馬肉についてのノート


 本棚が必要だ。しかし本を読まなくなってひさしい。それもそのはずだ。十年もひとと話さずに読んでばかりいたのだから。いまではただの蔵書家になりさがってしまった。背表紙がわたしをみつめる──おれはまだここにいると。しかしある程度読んでしまえば好みなどというものは固定されてしまい、表記のひとつでさえも、レイアウトでさえも気に喰わなくなってしまう。きっと病気だ。アンディ・ウォーホル「ぼくの哲学」、ポール・オースター「偶然の音楽」、フアン・ルルフォ「ベドロ・パラモ」、デビット・グーディス「華麗なる大泥棒」、コルサタル「遊戯の終わり」、ジャン・コクトー「ぼく自身あるいは困難な存在」、ジェイムズ・エルロイ「ハリウッド・ノクターン」、ジェムス・ジョイス「ダブリンの市民」、ハロルド・ピンター「灰から灰へ」、フィリップ・ディジャン「ベティ・ブルー」、デイヴィッド・ボーマン「ぼくがミステリを書くまえ」、ジョン・リドリー「ネヴァダの犬たち」、ガルシア=マルケス「エレディラ」、小鷹信光「新・探偵物語 国境のコヨーテ」、色川武大「小さな部屋」、伊丹十三「ヨーロッパ退屈日記」などなど。
 かわりに読むのは漫画になった。
 ある女がいった。
 「あんたのネガティブな話しにうんざり!」
 けっこうだ。わたしはいつも自身の暗部を──天使の秘部って本があったな──みせたがる。みじめでひどい体験、希死念慮、醜さをだ。かの女たちがいやがるのもむりはない。おおかたの人間が好むのは自信に充ちた、自己に偽りのないものたちだ。それにくらべてわたしときたら、だ。最後に待っているのは絶縁だ。幾度もそういった眼にあってるからといって慣れることはない。
 「あんたの詩はあんたの存在がじゃまで読めない!」
 けっこうだ。少なくともわたしは他人のために詩を書いているわけではないから、自身の存在が詩にとって有害であっても、手をひくつもりはない。そのいっぽうで匿名に閉じこもった連中のひどさといったらない。とてもじゃないが口にもできない。
 けっきょくインターネット上の文藝サイトはこの実現実になにも齎さなかった。こぎたない噂話、陰口、権謀術でまみれ、すっかり澱みのうちで崩れている。まだ「現代詩フォーラム」は書庫として使えるが、「文学極道」は完全に終わったといっていい。それぞれがそれぞれの真実とやらを関連のスレッドに嘔きだすものの、スタイルをもっていないために届くものがない。以前だれぞやがわたしにいった。二回もだ。「耳痛い意見を受け入れないから成長がない」と。笑わせるんじゃない。だれかれそろってスタイルをもちあわせていないのだから、意見として体をなしていないだけの話しである。これは形式主義の話しではない。だれも体重百五十キロ、病気持ちで、疣だらけの娼婦を受け入れたくないというだけのことだ。
 まったく連中ときたらネットでごたごたをやらかしただけじゃないか。既存の紙媒体が気に喰わないのなら、じぶんたちでやるしかあるまい。それにとってかわるものをだ。月間優秀作品とか寸評を書いている場合なんかではない。気がつけばできあがったのは俗物の集いだったというのは、あまりにも笑えない与太噺である。せめて美感をもっていればあんなサイトはつくらないだろう。いったいなにをみてきたというのかと訝る。あの表紙のデザインといい、なまえといい。いまでは運営人のためのしけた牧場に過ぎない。いかに気に喰わないのを消し去って、じぶんたちの子飼いをたぶらかすかだ。
 詩を書くのはけっこうだが、そのまえにあたまを醒まして考えてみろ、みせる方法とみせる場所をだ。素性の知らない他人にとやかくいわれるなら、かれらのお守りをするなら、じぶんに合った作家をみつけだすことに傾けたほうが何倍も特というものだ。そのほうがぐっと救いと癒しになってくれる。役目を終えた馬は屠られるしかない。だれがそれを請け負うのかは問題ではない。そのへんのことをお山の大将になっているかれらはよく考えるべきだ。どっちにしろ、畳むべき時期をはずしているんだから。だからといって進む道もない。
 ところでわたしのだす雑誌だ。いまどき文藝同人誌などお呼びじゃない。わたしはひとつの種目を極めようとする求道者ではないうえに気まぐれときた。めざすものは多様な価値と種目の混沌だ。詩もあるし、小説もある、雑文も、絵や写真もだ。そして商品にする。だれが買うんだって? おおきなお世話だ。いえるのはもはや詩人同士の、魂しいカマの掘りあいはごめんだということだ。お呼びじゃない。
 このまえ会った詩人はどうしようもないばかものだった。モトコーのハーブ屋に通いつめ、とうとうじぶんの本をだすための費用をだめにしやがった。アパートの戸をあけたとたん、ぶっとんでるやつがいった。金を貸してくれ。そんなものがおれにないのを知っていていうのだから性質がわるい。以来かれの声にはいっさい無視を決め込むことにした。脱法だろうと違法だろうと、酒よりも無害だとしても、そういったものに喰いつくされる輩は、はじめから底がみえている。書くものがくそ長いか、短いかのちがいだけだ。だぼらを吹くのもきょうはやめにして一曲いこうや、ゲンスブールの「ネガティヴ・ブルース」。新神戸は雨のなかにある。


11.16.2013

近状

 足が恢復してきた。ようやく立ったり坐ったり、靴下が履けるようになってきた。ふらつきもなく、ただ気分が貧しいだけだ。


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参加者募集!──地下雑誌のための草案

 文藝誌でも詩誌でもない、あたらしい地下雑誌の発刊をただいま考案中。さまざまな才能を生かした、熱い血管のようなものを期待している。

 仮題「for MISSING/The magazine」

 形式:全24頁/パンフレット判/二段組/モノクロ

 0号予定内容

  発刊によせて
  巻頭詩篇
  散文(エッセイ、評論など)
  短篇小説
  写真
  イラスト
  連載・森忠明
  後記/作品募集 



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 「一太郎」を買おうとおもったが、文章はいまの本分ではないので体験版のみで延期した。wordにもこれにもそれぞれ欠点あり、利点ありだ。併用がいちばんのようにおもう。
 きょうはけっきょく音楽の専門書(オープンチューニングとオープンコードについてのもの)とパンク詩人ジョン・クーパー・クラークのCDを中古で注文した。中古屋でRickie lee Jones "Flying Cowboys" を買った。残りの金は当然食費。


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 ぼくは絵を描くというのに画集を二冊しかもっていない。ホッパーとウォーホルのみ。写真を目指してるわけでもないのに写真集が七冊。デザイン書は一冊だけ。音楽の本はようやく注文した。
 きょうはドラム音源の再制作。「だれもない待合室」は十分以上の曲になってしまった。しかも通して弾く自信がまるで沸かない。コード譜をよく見ることだ。次に「海」の前奏を書いてきょうは終われにした。
 きょうも過古に身を委ね、後悔に焼かれる。伝えたいことは伝えられないことをいう。そして足の異常。力が入らず、痛む。段差が怖くなった。


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 朝、デモ音源をつくろうと数時間ねばるも諦めざるを得なかった。騒音の問題だけでなく、タイミングを合わせられない。やはりプロにまかせて録音するしかない。それがいったいどういったプロセスでつくられるのかもわからないまんま、そこに望みを託すしかなくなった。

 John cooper clarke「Snap, Crackle [&] Bop
 渡辺具義「ギタリストのためのオープン・コード事典」

この二点が届いた。前者はパンク詩人の伴奏つき朗読で、後者はなまえの通りである。それからぼくは前者を聴きながらふたりの人物に執筆の依頼を書き送った。地下雑誌への道はかなり遠くにありそうだ。



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