10.20.2014

一九八四年のピープ・ショウ(デモ音源集)

 
 本日夕刻、ようやくデモ音源が全8曲完成した。まだまだ不完全な部分だらけだが、これでようやく出発点に立てたような気がする。いかんせん、表題曲や二曲めの「水を呑む男」なんかはまったく時間をかけずにつくった。これから室で練習をかさねたり、ライブに出演しながら練りあげていこうとおもう。来月にはまた「あすなろ音楽祭」が雲井通の「バックビート」で行われる。ゆっくりでいい、とにかく来年の2月までには完全なものにして、スタヂオレコーディングに挑みたいものだ。
 とりあえず、以下のサイトで無料配布することにした。
"peep show in 1984(8 demo tracks)"
https://nakatamitsuho.bandcamp.com/album/peep-show-in-1984-8-demo-tracks




 清掃人 sei-soh-nin(a cleaning person) 
 水を呑む男 mizu wo nomu otoko (a man who drinks water) 
 1984年のピープ・ショウ 1984nen no peep show(peep show in 1984)
 うまくやりおおせればいい umakuyarihosebaii(you should succeed in doing it well)
 声/夏の夜  coe/natz no yoru (the voice)
 kaze-bungaku(the literature of the wind in February)
 海 umi(a sea)
 CQB

10.17.2014

CQB(a first demo track)


 本日は楽曲「CQB」のドラムを書き、試しにギターと歌を入れてみた。何時間もかかったのだけれど、ドラムもギターも歌もまちがえだらけとなった。まあ、第一回めはこんなもんさとおもって動画をアップすることにした。やり直しは明日以降にするとしよう。それしても鼻づまりのひどいこと。一年中つまりっぱなしだ。


video


「CQB(白兵戦)」 

capo:3f

 F△4 Cadd9/*2
 Am7 Em7(13) /*2  

 F△4       Cadd9 
 麦畑、かれは佇んで 
    Am7           Em7(13) 
 みつ める、  あの山のむこう 
 Gsus2(300033) 
 鳶が鳴き、 
 CM7 
 火がまわる 
 AonE     Dsus    G   G2
 もうそこは   麦畑なんか では ない 

 CQB──かれは孤立して 
 みあ げた、 ひとびとのむこう 
 街燈が悲しみ 
 町がころげる            G
 もうだれも   きみをみて  など いない 
  
AonE, Em/*4 

 B♭    C   B♭   C
  そうして/獲たものは 戦きの/美しさ 
  そうして嘆くのは 驚きのせいなのか?
 Eaug5  E7      Am7 D7
  だれか/答えて/くれないか? 
 Eaug5  E7      Am7 AonE
  だれか/答えて/くれないか? 

F△4 Cadd9/*4
Am7 Em7(13)/*4 
Gsus2(300033)  CM7/*4 
AonE Dsus G G2

 遠く、かれはうつむいて
 呼んでる、なまえのひとつを
 なにも訪れず
 夜はまわる
 もう そこは居場所なんかじゃない

 呼び声は 遠ざかるばかり 
 喪う 町のどよもしに
 かげがよろめき
 女がつばを吐く
 いつからか恥ずかしいみずからさ

AonE, Em/*4 

  そうしてただひとり/なにを望んでる?
  そうしてなによりも/戦きが美しい   
  だれか見つけてくれないか?
  だれか見つけてくれないか?

AonE, Em/*4 

D6sus4(*000203)    Em  
  かぜにまぶたをひきさかれ 
D6sus4    Em7(13) 
  青年、歩きだす 
D6sus4        Em 
  かぜに手足をきりさかれ 
D6sus4   Em7(13) 
  青年、走りだす 
 Cadd9  Gsus2(300033) 
  火を頬に 秘めながら 
 B7       G G2
  ずっと呼びかける  

 

声/夏の夜(a first demo sessions ver )

 なんのプランもなしにイメージだけで、インスト曲「声/夏の夜」の制作に入った。まずはドラムを書き、音声加工。リバーヴは「大理石ホール」を使用。つぎにその音源を鳴らしながら、ギターを弾く。これもただただイメージだけ。そして音声加工、ミキシング。なんとなくyo la tengo を感じさせるものになった。さてこれをスタジオではどう演奏するかだ。ちなみに題名はムンクの絵から。
video

10.16.2014

"詩のフリーペーパー"「a calm Vo.1」


 眠れない。夜九時には床に入った。くたくたになって食事もほどほどにしてだ。ところが早くも二時に目を醒ましてしまってうつろな気分。ただただこれからの長い停滞期をおもいながら、いまタイプしてる。モニターの光彩がなんだか、寂しいものへと変換されしまうのが、いかんともしがたい。
 きょうは久しぶりに買いものにでた。モップスという大昔のバンドの作品が再発されてたから、とりあえずすでに持ってるが「雨 モップス’72+2」を買う。ボートラの「森の石松」が以前から気になってたからだった。それから島村楽器にてシールドを二本購入。おとつい、ついに二本とも断線してしまったので買った。アンプからエフェクタに繋ぐ部分のは三年保証のものにしてエフェクタからギターへと繋ぐ部分は八〇〇円のでとりあえず済ました。これでようやく正確な音作りができる。帰ってから繋いでみると音は元気にでてきた。さっそくアンプとイコライザを調節し、新曲「1984年のピープショウ」をゲインつよめに弾いた。なかなかの手触り。それから印刷所に赴き、中原中也賞のために三冊の第二詩集「38wの紙片」を発注した。どうか、間に合えばいいのだが。
 ところで先日のこと、九州は熊本の詩人・深町秋乃氏から、"詩のフリーペーパー"「a calm Vo.1」が送られてきた。かの女の詩には、初めて触れたのだけれど、どうにも観念に澱んでしまってその方向するところが、よく見えなかった。残念ながらわたしの舌にはあわないらしい。ただそれだけのことだ。
 デザインについていえば、背景画像に懲りすぎて詩を読みづらくしてしまるのが問題だ。装飾は必要最低限でかまわない。あとはフォントが味気ない。個人的には、DF平成明朝体W3が好きだ。とにかく詩を魅せる表現方法を模索して貰いたいところ。ではまた




10.13.2014

ある文藝サイトの終焉に寄せて





おれと遊んでくれよ──セルジュ・ゲンスブール



 すべてはまちがいからはじまったといっていい。何年もまえにダーザインと名乗る男とそのつれあいがサイトを立ち上げてしまった。その名も「文学極道」。理念はこうだ、《現代の腐った詩壇から脱却して、ほんとうの藝術たる詩文学を呼ぶこと。そしてくそみたいなポエムを書き、馴れ合ってるものどもを放逐すること》だ。しかし問題なことにこの理念は、はじめっから現実と乖離を起こしてた。それとの接点を見失ってた。そいつはなにか? 金だ。かれらは運営費用の捻出を怠ってしまった。さらに文責の担保となる記名性を放擲してしまってるということだ。そしておれが登場するまでの数年間、ごくごく内輪のやり合い場としては有益に機能したみたいである。だが金が重要なのは変わりがない。ウィキペディアのような胡散臭いサイトですら、寄付金を得てるというのになぜブンゴクはそうしないのかがおれにはわからない。この現実でいちばん醜悪なのは、詩とそのインフラに対価を払わない、カウボーイどもを増長させてしまったことだ。
 いまグリフィスと名乗る人物は、えらくブンゴクにご執心で、このサイトの復興を掲げて旗振りをやってるが、しかし、このサイトが表に掲げてる《あまりにも低レベルな作品や荒しまがいの書き込みは問答無用で削除されたり、 「月間最低劣ポエム」 として晒し上げられたりする》ことが一向に行使されない現状を見るに、運営はもはやじぶんたちの理念すら忘れてしまったようにおもう。現実の仕事で忙しい? ふん、そうかも知れない。でもそんならはじめっからなにもやらないことだ。ブクが詩でいったように「なにかをするならやり通せ、さもなくばやめておけ」だ。突起人のケムリはもはや現れてこないし、撰は一ヶ月遅れもあたりまえ。それというのに撰評もなければ、撰んだ人間の筆名ですら明らかにできないと来てるんだ。まったくばかげてる。それでおれは投稿するのをやめた。
 こんなこというのにもわけがある。おとつい久しぶりにフォーラムも含め、覘いてみると《あまりにも低レベルな作品》が跋扈してた。それらに共通してるのは字面が汚く、文字列のレイアウト、デザインができてないこと、主題をもたず、言葉遊びに終始してることだった。そしてまたも哀れな筆名。主張するやつらはだれもまともな散文が書けない。段落のつけ方や、行分けの効果すら考えてない。やつら、脳味噌の代わりにくそを搭載してるにちがいない。きのう、つぶやきに書いたように"詩書き"の人間で厭なのは、詩に対価を払ったことのない人物だ。軽蔑するのは図書館や本屋で詩集を見もしない人物。そして詩人の書いたものだけを手元に詩を書く人物だ。そのいっぽうおれはとある賞に応募すべく詩集三冊を新たに刷らなければならない。烏合の衆に頼らずとも詩は書けるんだ。
 ところで泉由良というやつが宣伝してる同人誌「84」。その《1984年生の詩人のPDF誌》におれがラインナップされてないのだから、お話しにもならない。──まあ、これは冗談だ。けれども紙媒体として手元に残らない虚ろに金を落としてやるほど、おれは慈悲深いわけではない、ということにつきる。ではアディオス、ブエノス・ノーチェスってやつだ。

10.12.2014

大聖堂



                                                                      両親へ捧ぐ

   ウォーホルとカポーティはともに父を知らず
   母性のつよい影響下で育ったという
   そのいっぽうでブコウスキーは母の存在が薄く
   父の打擲と恫喝に苛まれてたという
   わたしも母をほとんど
   知らないと来る
   かの女はつねに父のうしろにいてみえなかった
   無計画にも十歳下の妹できてからはパートタイム労働者になり
   さらにみることがなくなった
   深夜を弁当屋で過ごし
   午はゴルフ場へと
   赴く
   やがてかの女は自己啓発本や
   安手の幸福志向にそまってった
   わたしをいちばんむかむかさせたのは
   幸運の絵や写真──ブロック・ノイズまるだしの紙頽
   そんなものを額に入れて玄関やくそ狭い便所に飾ってた
   そのいっぽうでわたしはちゃちなビクトリア幻想の、
   父による解体と増築のレッスンがあった
   アントンの大聖堂じゃないけれど
   幼い時分からその建築
   は始まってた
   離れは母屋を侵食し
   妄想は現実化してしまう
   あるときは数字についてのことで
   あるときは角材の長さのまちがいで
   全人格──存在そのものを否定された
   やつのお気に入りの文句はこうだ──ばかもちょんでもできることもできてない!
   長い恫喝ぢみた説教がいやで逃げようとすれば金槌の柄で撲られた
   おれにはなんでこんなことばかりなんだろうっておもってた
   十六歳の夏、父は母屋の屋根を解体して平屋に二階をつくってた
   しかし自身との自己同化を拒絶したわたしにぶち切れた父は
   わたしの髪をめちゃめちゃに剪り落としてしまった
   それでもわたしは抵抗することができなかった
   生野高原というくそったれな田舎には、
   逃げ込む場も仲間もなかったんだ
   やがて母が帰ってきた
   いつものようになんの変わりもなくて
   わたしの頭をみてもなんにもなかったかのように
   通り過ぎていくだけのことだった
   そのさわり、ふとおもいだしたのは
   生瀬にあるバレエ教室だった
   ひとつうえの姉がそこで
   習ってるのを
   母は見学し
   わたしはおもての
   螺旋階段のまえに
   退屈むきだしで抛りされ
   まったく見棄てられてしまってた
   わが家の王妃たる姉は理知にも容貌にも立場にも恵まれてたけれど
   わたしと来たらなにもかもがでたらめでことばすら満足でなかった
   ──いまも書いてるからこそ言語を発することができる
   ともかく母はいつも半分いて半分いないようだった
   日雇い仕事がうまくいかなくなったとき
   わたしは次第に母を攻撃する喜びを
   アルコール漬けの脳のうちで
   知った
   金をせびり
   料理を床にぶちまけ
   おまえと呼ぶ
   なんという愉しい虚無なんだろうか!
   このために母は存在してたのか!
   放埒が去ったいまも
   わたしは夢想する
   かの女を罵ることをだ
   いまも惨めに働きつづけるあいま
   父はじぶんだけでスペインやイタリアへと旅をする
   神さま、どうかかれの飛行機が消息不明になりますように、だ
   おお角の酒場"Academy Bar"で一杯千円のギムレットでもやりながら
   あのくそったれ大聖堂の没落を静かに心地よく聴きたいもんだよ


10.11.2014

拳闘士の休息




   試合開始はいつも午前3時だった
   父にアメリカ産の安ウォトカを奪われたそのとき
   無職のおれはやつを罵りながら
   追いまわし
   眼鏡をしたつらの左側をぶん撲った
   おれの拳で眼鏡が毀れ
   おれの拳は眼鏡の縁で切れ、血がシャーツに滴り、
   おれはまた親父を罵った
   返せ!
   酒を返せ!
   おれの人生を返せ!
   おまえが勝手に棄てたおれの絵を、おれの本を、おれのギターを!
   凋れた草のような母たちが、姉と妹たちがやって来て、
   アル中のおれをぢっと眺めてる
   おれはかの女らにも叫ぶ
   おまえらはおれを助けなかったと
   おれが親父になにをされようがやらされようが助けなかった!
   だれがおまえらの冷房機を、室外機をと叫んだ
   おれは姉にいった、──おれはおまえのタイヤ交換をしたよな?
   じぶんの仕事を遅刻させてやったのにありがとうもなかったよな?
   照明器具の倉庫をおれは首になった
   おれは姉のつらを撲った
   おれの拳がなんとも華麗に決まったその瞬間
   いちばんめの妹から階段のしたに突き落とされた
   おれの裂傷した後頭部からまたしてもくそいまいましい血が飛び散った
   不条理にもおれには血がおれを嗤ってるみたいにみえてならなかった
   気がつくとおれは暗がりに立ってて警官ふたりとむかいあってた
   おれは──といった、ポリ公はきらいだと
   かれらはじぶんたちの仕事を刺激されて少しばかし悦んだ
   しかしおれはそれ以上かれらを悦ばす気にならなかった
   だから、さっさと寝るふりを決め込んだんだ
   そして明くる日おれは町へと流れてった
   そして三年経ったある日夜間高校時代のやつが電話してきた
   おれの絵をオフィスに展示したいといってきた
   おれは、──かまわないといった
   ただし展示料はとると
   するとやつは絵を売ろうといった
   おれはいやいや諒解した
   それでも絵をまとめて送り
   展示案やポスターを仕上げて
   神戸から西大寺くんだりまでいってやった
   やつはポスターを気に入らないといった
   場所である、椿井市場が目立ってないといい、
   "bargain sale"という個展名に難癖をつけた
   後日ふたたび西大寺のオフィスに訪ねると
   資料用の素描に"The Outsider Art"と直かに書かれ
   市場の各所に貼ってあった
   そいつはいままでみたこともない悪意だった
   おれはポスターを造りなおしてた
   やつは興味を示さなかった
   「アウトサイダー・アート」   
   それは手垢つきの過古だった
   それはすでに体制のものだった
   おれは真夏の市場でひとり汗をかき通しだった
   夜になっておれとやつは工業用扇風機を載せたトラックで通行どめに遭った
   やつは警備員を面罵して──ここを通せとわめき散らした
   責任者呼べ!──おれはハンチングに隠しきれない恥ずかしさでいっぱい
   やつが警備員に呶鳴った──そんなんだから、そんな仕事しかできねえんだよ!
   警備員は小さく「このばかがッ」といった
   するとやつは真っ赤になってかれに飛び込んでった
   地面に叩きつけたれたかれが「警察を呼んでくれ!」と悲鳴した
   おれはやつを撲るべきだったかも知れない
   しかしそいつはまるで屁をひってから
   肛門管をしめるようなもんだった
   きっと拳闘士の休息っていうやつだ
   トム・ジョーンズはイリノイ生まれの作家
   やがてひとびとがあつまりはじめて
   そのなかには非番の警官もいた
   それでもやつはひるまずにわめきつづけてた
   それでもやがて警官が横断歩道のむこうから歩いてきたとき
   おれに運転しろといった──なぜ?
   免許ないから、ばれたら困る
   おれはエンジンをかけ、サイドブレーキを解き、
   警官がたどり着く寸前にロウ・ギアに入れて発進した
   角をいくつもまがり、追っ手がないのを確かめさせてやつはいった
   こんなことが週に何回もある、でもあの警備員は仕事に責任感がなかった
   そのとき口にはできない感情をおれは自身に感じとってた
   ふたりで扇風機を事務所の壁につけようと疾苦しながら
   やつはいった──学習障碍なんて甘えだ
   おれはいった──杖や車椅子は滅ぼすべきというわけ?   
   ハーパーを呑んでからやつの室まで眠りにいった
   そこには喰うものも、呑むものもなかった
   本棚の目立つところに「超訳・ニーチェの言葉」があった
   それですべてを諒解した
   このくそったれは超人にでもなったつもりなんだ 
   そしてみんながそうなるべきなんて信じてるんだって
   そして友情はおれを必要としてないというのがわかって
   憎悪を爆発させることにたやすく傾いてしまった
   あるとき公園を若者たちが騒ぎまわってた
   男たちと女たちの嬌声に耐えきれず
   アパートを降りたおれはそのなかのひとりに狙いを定め
   パンチを繰りだしたがやつらの足元はすばしっこく
   ひとり残らずに逃げられてしまった
   そこでようやくおれは気がついた
   バンテージを忘れて
   重量も超えて
   いることを
   最悪のことにもはや若者ですらないことを

10.09.2014

日記


 ブクのいうところでいえば「情熱と方針の欠如(「空のような眼」)」がやってきた。物事に対する興味も失せ、ただただ自身の無能力さをなじる生活がやってきた。詩? 小説? 音楽?──そんなもののうしろっかわでマスを書くみたいな状態にけっきょく嫌気が差してきた。今月ははなっからついてない。内蔵を傷め、骨に罅を入れ、金は失せる。単純に生活するというこに厭いてしまってる。今月で中原中也賞は締め切りだ。来週一万円ぶんを刷っておこうとおもってる。けれどもまったく報われないのはもうわかってる。所詮わたしは駄馬に過ぎない。以前「阪神競馬場」という詩でも書いたとおり、つまりは周囲との個体差があまりにもありすぎてる。こういうときは消滅したくなる。死をも通り越してしまいたくなる。しかしどうにもならない。程度のひくい現実を改善するべく、通りをのろのろと横切ってくだけだ。そのうちになんにも感じなくなるのを待ちながら。
 きょうは未明から体調を大きく崩し、四つの医者にかかった。精神、整骨、内科、消化器。そうしてよりいっそう擦り切れながら、一冊の本に取りかかろうとしてる。「バロウズ / ウォーホル テープ」だ。一目惚れをして買ったというのに、もうしばらく抛りだしたまんまだった。なんとか小説はむりでも、なにか文章に出会したいところ。──しかし、これもけっきょくは無意味な企みに終わるだろう。なんにもできやしない。喰うことも眠ることさえもだ。ただただこうしてモニターを眺めながらbloodthirsty butchersを聴いてる。
 詩? 小説? 音楽?──創作といったもろもろ、しばらくあいだ、それらはうっちゃっておこう。



8.02.2014

日記


6/10

 先日森忠明先生と写真家の谷井隆太氏と電話で話した。先生には希望されていた絵を贈った。その礼にときのう「詩学」の嵯峨信之追悼号が贈られてきた。98年のものだ。わたしがまだ14歳のときのもの。嵯峨信之は「孤独者」という詩が好きだ。

  よく熟れた広い麦ばたけを
  あらしがきて根こそぎに薙ぎ倒していつた
  一瞬 ばらばらになった金いろの麦よ
  ある種のこの解放 そして私的な死
  すでにおだやかな夕凪がひとびとを充たしはじめたときに
  このレパートリイからただ一人たち去っていくものに路を開けよ

 森先生はわたしに油絵を始めなさい、ノンフィクションを書きなさいといった。いささか困惑する。前者は金がかかる、後者はまったく作法を知らないとくる。谷井氏は詩集に付したわたしの写真を「森山大道みたい」と仰ってくれた。わたしは大道が好きだ。そしてきょう、速乾性の絵の具を三つ買ってきた。まあ、なにごともゆっくりやろう。
6/13 

 過日森忠明先生と画家の野崎義弘氏と話す。前者にて先生の所望されていた宇野邦一「ドゥルーズ(河出ブックス)」を入手したと報告。後者では長い時間で絵について語り、氏の製作法を聴かせていただいた。洲之内徹、松本竣介の存在を知る。そして油の調合。テレビンとポピーを混ぜているそうなのだ。きょうはポピーを入手。音楽もいくつか買う。ほとんどが中古だが、坂本慎太郎「幻とのつきあい方(LP)」、高田渡「ごあいさつ」、The good life「Help wanted nights」、エレファントカシマシ「町を見下ろす丘」入手。DVD「シンプルメン」を貸出。
 じぶんはギターソロの練習に向かう。相も変わらず、ゲインをきつめにしてだ。

7/2

 明日から三十路だ。

7/12

 きょうは救急車で病院に。脚の病気をみてもらう。どうやら痛風の発作によるものらしい。痛み止めを鱈腹呑んで、なんとか歩けるようになる。しかしまるで酩酊したような歩き。
 午后金子光晴訳のランボー詩集が届く。箱もビニールカバーもきれい。これからは寝しなにちょっとづつ読もう。ところで作曲のほうはようやく「だれもない待合室」に着手、前半部分ができあがった。

7/19

 あしたはいよいよライブだというのに演奏の具合がよろしくない。新しい曲は未完成だし、古い曲は弾きづらい、歌詞が憶えられてないというありさま。まあ、ぶっつけやるしかあるまい。

7/20

 ライブ、なんとか無事に終える。「kaze-bungaku」と「umi」を演奏。後者は古い曲だが、コード数が多くて大変だった。

7/25

 きのうにかけて油絵を三枚描く。まだまだ色の調整がうまくいかない。夕方から曲「CQB」の練習。コードをいくつか変更する。夜、森忠明先生に電話。「送った詩篇から、次の詩集にふさわしいものを」というわたしのリクエストに「二、三日待って」とのこと。新作については「余裕がでてきていい」とのこと。

7/28

 一昨日より、痛風の発作ふたたび。きのう救急車を呼ぶも、日曜なのでどうにもならずに終わる。そしてきょうの朝六時、病院へと出発。躄りの状態、一時間かかってようやく新神戸から県庁前へ。病院の長椅子に横たわり、診察を待った。診察を終え、薬も受け取った。さっそくボルタレンを使う。そして帰途に就く。薬は一時間経ってもきかず、わたしはJoy Divisionの音楽を聴きながら、関連スレッドを読んだ。数々の証言たちを読んだ。少し泣いてからNew Orderの”Get Ready”をかけて蒲団に潜り込んだ。かたわらにきのうの夜から読んでる、ウォーホルの「ぼくの哲学」を寄せてだ。かれはこう書いてる──「ぼくの生涯でひとと群れていたい、親友が欲しいと感じていたときにはだれも来ず、ひとりでいたくないときにはひとりだったわけ。でひとりでいいや、もうだれにも相談をもちかけられなくてもいいんだと決意したら以前会ったこともないようなひとからあまり聞きたくもない、聞かない方がいいとおもうようなことを追っかけられたあげく聞かされるようになった。もう孤独でいいやとおもったとたん、取り巻きができるようになった。ほしがらなくなったとたん手に入る。これは絶対に正しい格言だとおもう」と。なるほどな、とおもった。これは実行に値する考えだとおもった。
 またもおかしな夢をみながら夜の九時半まで眠った。そして飯を喰い、薬を呑み、これを書く。あさってには個人雑誌のための会合がある。あしたじゅうにはなんとか企画書をかきあげ、準備を整えたいものだ。
 では、またおやすみ。 

7/30

 一回めの雑誌の会合。といってもわたしともうひとりだけ。夕餉をご馳走になりながら話した。それでもたいして前進せず、ただかれがアコースティック・ギターをくれるということが決まった。ただソレダケ。

8/02

 森忠明先生から葉書が来てた。曰く《"中間発表"『夏祭・月曜日・終わりの手・檻・有情群類・よそもの・ラヴソング・新神戸駅・二宮神社・Hotel juke box・潤滑油・アニス・七月・憧憬・阪神競馬場・移民局』──かつて中沢新一は「ポエジーには非人間的な力が侵入すべきだ」といったが、きみ独特の”非人間(超人間か)”性による脱快感原則詩が少しずつ形になってきてたのしみだ。やはり中沢のいう「電通文学」がのさばるからこそ、きみのマイナーぶりは貴い。ミツホアヴァンギャルドをみせてくれ》とのこと。

 そのあと電話で話す。《(「e・e・カミングス」で書いたような)かっこ悪さをもっと読ませて欲しい》といわれる。若干困惑してしまう。いまのところ、作品として昇華できそうな”かっこ悪さ”をわたしはあまりもっていないからだ。飯場で喰いっぱぐれてたときでも書こうか? いいや、いまはおもいだしたくもないんだ。心身の状態がよろしくないとき、あらゆる記憶が悪夢に変わってしまって身動きが取れないもの。わたしはちょうど窪地に立って、手を拱いてるところなんだ。

8.01.2014

●地下雑誌「for MISSING/The magazine」にむけての断章



    * * *

 この雑誌を発想したのはおよそ十一年まえに遡る。当時のわたしは月に一度ジャズバーで詩の朗読に参加しながらおもってた、なぜ詩文学のみが閉鎖的な環境にあるのだろうかと。もっとほかのジャンルとの融和の道がないだろうかと。なぜ数ある文学誌ですら詩を受け入れようとしないのかと。「現代詩手帖」、「詩と思想」、「詩学」などの詩誌にも、まったく興味をそそられるところがなかった。

  * * *

 もう五年もまえのこと。わたしは大阪は萩ノ茶屋の救貧院にいた。いつも歩いては難波までいった。あるとき、タワーレコードの雑誌コーナーで「HUGE」というのをみつけた。それはファッション誌であったが、巻頭特集で詩を取りあげてた。カミングスや、カーロス・ウィリアムズ、カーヴァーなんかが載ってた。少なからず日本の現代詩人もあった。このとき、あらゆる文芸誌の敗北をみたような気がした。

  * * *

 さる歳の暮れだった。わが師である森忠明は、「同人誌をやりなさい」といった。しかし、わたしは「同人」という語に自己複製欲求とでもいうようないやなひびきを感じとった。仲間内の、閉鎖的なものを嗅ぎとった。そこで考えたのは多ジャンルとの共生というものだ。しかしまさかじぶんが一冊の雑誌を編輯するとはおもってもみなかったことだ。

  * * *

 この「for MISSING/The magazine」ではできるだけ多くのジャンルを取り込みたいと考えてる。ひとりでも多くのひとの魂しいにひっかかるものにしたいと願ってる。ああ、そうとも。