12.14.2014

フロム・ア・ジャックオフ・マシン#5 

from a jack-off machine#5


  この年最後のライブ出演が終わった。演奏はぐだぐだ。譜面台の紙切れは落ち、なんとか曲らしいものにしようと苦行しつくした。たぶんわたしには舞台に立つ資格がないのだろう。高尿血酸症で足は痛み、もはや坐薬すら利かない始末とくる。冬の、あの刺さるような空気を受け、わたしはけっきょくほかよりも早くギターとエフェクタを抱え、トップテンクラブをあとにした。屈辱だ。こんなはずではなかった。もっと練習しておけばよかったなどと胸のうちで嘯き、夜九時を過ぎた町を歩いて帰った。ただ途中に焼酎をいっぱいひっかけた。
 きょう、あたらしい意識がやってきた。長いあいだにわたってわたしは片おもいをつづけてた。普遍性というやつにだ。けっきょくわたしは失恋した。けれどこの失恋は生来のものでわたしがただただ直視を避けてきたということにほかならない。友人を持つこと、家族に親和を憶えること、恋をすること、交際を重ね、関係性をたしかなものにするという道程は、わたしを排除した。この数日間というもの、わたしはふるい関係性に密航をくり返し、そのうち幾人かを言語で鞭打った。それもけっきょくは普遍性への未練が為した業にほかならない。これからはあたらしい関係性、未来への歩みだけがわたしの持てるすべてだといっていい。第一藝術を志す人間が安逸な普遍性に浸り、ありきたりの会話なんかできるだけもないからだ。わたしはずっと多くのひとに妬心と羨望を抱いてたけれども、こうしたことは自身の作品ですら、その世界を狭めてるだけのやっかいなものでしかなかったんだ。けれど普遍性というのもおもいのほか手に入るかも知れない。かつてのアンディ・ウォーホール曰く「欲しいとおもわなくなったときに手に入る」という格言もあるから。それでもいまのところ友人も恋人も必要としてない。
 六歳のみぎり、わたしは女子ばかりといる自身を羞ぢ、クスモトタケシくんという子に声をかけた。けれどわたしは臆病すぎた。ちいさな呼び声はかれには届かなかった。ミツホというなまえはあまりにも男らしさにかけてた。そのいっぽうでタケシは格好がよく、あの本郷猛とおなじたまえだ。後日してかれのアパートメントにいった。みんながテレビのビデオゲームに夢中だった。けれどそれをもってないわたしは加わることも、なにが愉しいのかも理解できずにただほかのあまりものといっしょにミニカーで遊んだ。帰りはひどい雨降りでわたしは雨に烟る集合住宅を見あげてはためいきをついたもんだ。
あれから三〇年ちかく経ったいまでも、わたしはわたしのなまえに戸惑いを憶えてる。ミツホ?──なんだい、そいつぁ?
 言葉についておもうとき、それはわたしがいい負かされつづけてきた風景を起立させる。あのもどかしさ、くやしさ、はずかしめ、おののき、かなしみなどが駈けめぐる。ほかのだれかとを比較してなどと考えるのはただの慰みだ。自身がいかに穢らわしいかをおもい、軽蔑するときこそが重要なんだ。まあ、言語や発語についてはもはや多くをいうまい。これでは演歌師の十八番のそれとなってしまうからだ。それよりもおもうのは関係性のことだ。今年はふたりのひとがわたしを訪ねてきた。ひとりは富山の青年でわたしよりは二歳ぐらい若い。かれはわたしの詩集を買ってった。もうひとりは京都の詩人に西村玄考だった。かれもわたしの詩集を買い、そして夜の町へと呑みに連れてってくれた。そしてそのまま夜を明かしたんだ。逢った人間はふたり、ふたりとも同級生で小中とおなじだった連中だ。そのいっぽうからわたしは小学校の卒業アルバムを借り、住所欄を複写させてもらった。わたしはふるい同級生のうち、三人の女性へ詩集を送った。いずれも反応あらずに終わった。いっぽうインターネットのうえでは詩人の水野英一と青山大志がそれぞれfacebookへ「友達」申請してきた。前者はわたしの「清掃人」という一篇を親の敵みたいにきらってて酷評をくだした人間だった。わたしも怒って「エイズに罹患してくたばれ」とtweetした憶えがある。いっぽうはわたしの第一詩集を買った人間で、ネット上ではあまりに多くのなまえをもてあましてた。わたしはどちらも受け入れることにした。訪れるものをわたしは拒むのをやめた。同時に去るものを追うのもやめてしまってた。けれども、これでいいんだ。あとはネットを通じて三人の女性に詩集を送った。まずは澤あづさ、かの女はわたしの短篇を評価してくれたひとだった。つぎにふるい同級生、いまは鹿児島でカメラマンをやってる、そして山下晴代、かの女はFacebook上の投稿を読んでくれてた。澤あづさ以外は反応を返してくれた。そしておもいがけないことに谷内修三がブログで詩の批評を書いてくれた(ただ引用にまちがいはある)。これを起点にしてもっとあたらしい関係性に目醒めていければいいともってる。わたしはふるい関係性に蹴りをつけんと、いささか乱暴ではあるが幾人かと断絶してみた。自身にとってほんとに有益で心性を豊かなものにできるよう環境を変えようとしたんだ。犠牲も幾ばくかはあったけれど。
 わたしの人生はひとより十年は遅れをとってる。それはまちがいない。だからわたしはようやく二十というわけだ。それでもくだらない仕事と浮浪ですり減らしてきたのはたしかである。ほとんどといっていいくらい人間とのかかわりを持たなかったし、持てなかった。いつも自身とのやりとりでことを済ませてきた。ひくい地平を雲が赴く。地上では虫が匍う。わたしはその匍う虫そのものだった。やがてさまざまな場所でもめごとを起し、たどり着いたのがこの町というわけだ。ここからようやく救いと秋が始まった。
 この年最後の目標は海を見ることだ。わたしのなまえは父が持ってた海へのあこがれからつけられたものだ。かの地岡山も、生野高原も海とは縁遠い場所だ。わたしはいちど満帆というものをみてみたい。それは幼い時分に西宮のヨットハーヴァーでみたようなものでなく、ひろくなにもない海上を赴くそれだ。わたしはそいつを眺めてから、この年を終わりたいとおもってる。だってほかにやりようもないだろ?
 そういえば先日酒場でこんなことがあった。男どもの集団がくだをまいてた。巻く管があるうちはまだましだ。こちらはもうなにもかも喪ってしまったというのに。わたしはかれらからなるべく、といっても店は狭い、遠いところでテーブルのうえの荒野に凭れ、ズブロッカをショットで呑んでた。すると若い女が入ってきて、わたしとおなじように、わたしとおなじくヤサ男のつどいをよけてこっちまでやってきた。しばらくまでは安全だった、なにもかもが。けれどわたしが次第に深酒するようになり、もういちショットで斃れそうになったときだった。わたしは女にむかってった。
 「失礼。いっぱい、あなたに奢りたいんですが」
 かの女はきりっと眼を剝くとわたしに掴みかかってきやがった。いったい、なにをしやがるんだろうとおもったけれど、わたしはあえてされるがままさせた。
 「あたしが世界いち孤独なんておもわないでよ!」
 けっきょくのところ、かの女はわたしが安い値踏みをしてるとおもったんだ。でも、わたしはそんなつもりはない。ただ酔ってただけなんだ。しばらくのあいだ、かの女の握りしめた拳がわたしの胸を撲つのを耐え、店の、かかってる音楽を聴いてた。
 「いい加減にしやがれ」
 おれはかの女の頬を撲った。かの女が撲ち返してきた。ああ、なんていい女なんだろうか! なかなか威勢がいい。わたしはかの女の金で何杯かやった。それから何気ない会話ってやつをしようと尽くした。けれどでてくるのはちゃちな自己宣伝でしかない。わたしは次第に自身に鼻白むおもいでたくさんだった。あとはテキトーに歩調を合わせ、話しを終わりにした。そして酒場をあとにした。しばらく歩きだし、下山手まできたところで、うしろから声がした。かの女だった。かなえという、その女と歩きながら、やがて近所の空き地にきた。ここらは忙しい土地だ。建物がなくなったり、建ったりする。そこもかつては一軒家があった。それも荒れ果てたやつ。そのむかいには高層アパートメントの建築が始まってる。かつては駐車場だったというのに。
 「ここで別れよう」
 「家までいかないの?」
 「手紙でも書くよ」
 けれどもわたしはかの女の住所すら聞きもせずに室へと帰ってきた。ひとを恋ういっぽうで、遠ざけてる。ただいつもうまくいかないような気がしてる。ともには幸せになれないような気がしてる。アパートにもどって灯りを点ける。その一瞬気がついた。わたしはその夜いちども笑顔をみせたことがないということにだ。閉じられたまんまのエフェクタ・ケース、ギター・ケースがわたしをみつめる。かれらに手を触れるのをいまは避けたかったんだ。
 わたしはいま、「エル・トポ」を観ながら、この稿を書いてる。この映画のよいところは、イメージをもったいぶらないところに尽きるようにおもう。寺山修司も生前絶賛したというが、かれの映画がひとつのイメージにおもいを入れすぎて長々ともったいぶってすぃまうのに対してこの映画は、ひとつのイメージを必要以上には観客に供さない。そこがいいんだ。わたしもいつかは映画をつくりたいもの。血とアクションと無情の光景を仕上げたい。題材は「走れメロス」でいこう。裏日本を舞台に二重スパイのバイク・アクションものがいい。絵は当然モノクロ。いちばんはじめのシークェンスは屠殺場での儀式。それから市街地での集団虐殺へともっていきたい。一列に並ばされた市井のひとびとが無慈悲に射殺されていく。やがてメロスと通称された工作員が任務のためになまえを呼ばれる、そこへタイトル・バックだ。──なんていうくだらないことをおもいながら、霜山徳爾をきょうもひろい読む。
 《もし人が本当に生きたいと願うなら、まず言葉が死ななくてはいない。》──霜山徳爾(沈黙の時間「素足の心理療法」1989)。さて、ここで問題だ。どうやったら言葉はくたばるのだろうか。わたしにはまだ沈黙が叶いそうにない。

12.09.2014

フロム・ア・ジャックオフ・マシン#4 


from a jack-off machine#4

 早いけどクリスマスだ! ガキは愉しんでくれよな!


   とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を──寺山修司


 作中の少年の詩とはいったいどんなものであったかをふいにおもってしまう。それは熱い恋の詩か、寒き別離の詩か。とにもかくにもわたしにはその詩が真夜中の鉄路みたくみえてならないんだ。辱められること、虐げられることはおもいのひか内部へと突き刺さっていく。わたしが受けてきたもの、やらかしてきたことをおもうとき、被害者や加害者という概念はないものにひとしい。だっておれを攻撃したやつらはのうのうと生きてくし、おれだってのうのうと作品として対象化するほかはないのだから。もうやめようぜ、攻撃と黙殺は。ただわたしたちには共通の事実しかないんだからな。
 撰挙のころになった。わたしにはまるで政治がみえてない。おなじような旗振り合戦がおこなわれるということのほかはなにもかもだ。それでもさらに不正撰挙というから、もはやほんとうの敵なるものがどこ鎮座してるか、わかりようもない。政治屋どものポスターをみる。正視にたえないな、こりゃあ。ってわたしはそれでも感謝せざるを得ない。巨大な利権構造にからめとられことも首を掴まれることもないとくれば御の字ってもんだ。今年も大詰めになって撰挙の季節と来た。そしておなじわたしは姉妹とも二親ともふところを別った。そして長らく返事を待ってた、かつての同級生どもからも放逐され、自然と旧い関係性からはなれ、あたらしい関係性に眼をむけることとなった。もはやかれらのだれにも依存することはないだろう。もう逢うこともあるまい。好きだった、あるいは眼を奪った少女らはもはや作品の種に過ぎず、過古のありあらゆる経験もこれからは虚構のひとつひとつとして把握してかなきゃならない。十三歳でわたしはおのれの底というものを知った。それから十数年経つというのに他人に依存したまんまだったけれど、もはやだれかれともおわかれだ。そのひとつの原因は姉からの黙殺、片おもいからの黙殺、そして出版とそれに伴う評価がつよくある。もはや過古にであったひとびとはこちらがどんな働きかけをしようが、ふり向くということさえしないんだ。そういったひとびとにできるのは別離でしかあるまい。
 わたしはもう何年ものあいだ他人というものに信仰を抱いてた。けれどそんなものは虚像でしかないんだ。じぶんがこの数年間作家というものに目醒めるまで、正直こうはおもわなかっただろう。だが次第に過古への復讐がいかに不毛であることに気づき、わたしはようやく遅い屹立に眼を展いた。うずくものがないとすればうそになる。わたしにはいまも逢いたいひとがいる。ここ数日間にわたって過古の人物たちと口論を繰り返してた。そこでおもったものはたとえわたしをかつてしつこく攻撃した人間ですら、行為どころかわたしのことすら忘れてしまってたということだ。まあ、極々ありきたりなことに過ぎない。そこまでやってようやくわたしは自身の眼をむけるべき関係性に気づくんだ。遠回りをしたもんだ。それに無用に傷つけあったりもした。いまはっきりといえるのは、友人という一語はわたしを必要としてないってことだ。
 わたしはいろんなものから疎外され、また離脱してる。たとえば性的領域だ。わたしには六年まえまで好きなひとがあったし、いつも「願わくば」とおもったりもしてた。空想のうちっかわにはいつもわたしにしか見えない恋人があった。けれどかの女らともけっきょく別れることとなった。もはや空想の恋人ですら、もはやわたしを束縛してくれなかった。求めてもくれなかった。けっきょくわたしは虚構のうちですら恋に敗れたんだ。もうなにもいうまい。
 ヴィム・ヴェンダースの映画「アメリカの友人」はもののみごとに友情の成立と破綻を描いてる。当事者のリプリーはただ気分を害されたというわけだけで、病魔にやられてる額縁職人のヨナタンを殺し屋として指名する。けれどかれにもおもうところはあって職人を助ける。それがあだとなって今度は組織から狙われるというわけだ。この映画についてはまたべつの機会に書きたい。いまはそんな時間がないということだ。申し訳ない。
 いっぽう小川太郎「寺山修司 その知られざる青春」は、寺山の過古たる恋について語ってた。石岡まさにはそっぽをむかれ、かずこは友人である山田太一のところにいってしまう。夏美という女性も去ってしまった。いちばん印象に残ったのは晩年のことだ。寺山は山田宅にいく。そこにはかつてのかずこがいる。短歌にまで詠んだ最愛のひとがだ。そしてかの女と友人の子供に出会っていい残すんだ、「おれは父親になりたかったんだ」、「まもなく死ぬかも知れないけど、父親になりそこなっちゃったよなあ」と。
 いっぽうのわたしは今年の秋に好きだった「ゆかこ」さんに別れの科白を吐いた。これが虚勢であったなとはだれにもいわせはしない。これは正当なる宣言だ。もはやかの女は詩作の種でしかない。固有の存在なんかじゃない。去りゆく一切の、断片にほかならないからだ。懐かしい「ゆかこ」よ、さようなら。まぶしかった「ゆかこ」よ、その一切よ、さようなら。わたしにいまできるのはさよならしかない。それこそが今後の詩情することに於いていちばんの動力だからだ。きらいになったわけじゃない。かたおもいのおもいの部分はいまもこの胸に残ってる。だからわたしは書くんだ。そのおもいに報いるためにだ。決してだれにもそれらは捧げられない。おれだけのもんだ。あとは受け手の勝手で、わたしがどうこういうことではない。だからこれを読む御仁よ、あとは勝手にやればいいんだ。
 というわけで、なんとか四回めのコラムを書き終えた。さあ生け贄が待ってるぞ。さあ、存分に血祭りにあげてくれたまえ、さ。

  

11.30.2014

フロム・ア・ジャックオフ・マシン#3

from a jack-off machine#3

   
 来年の七月までにはぜったいに女とおまんこするんだ。三十一を過ぎて童貞なんて信じられない。受け入れたくないことだからだ。わたしが熱心なれるのはもはや性の領分でしかないようにおもえる。いちばん最初の恋が七歳のこと。それからもう十年以上経ってもわたしのおもいはどんな女にも届かない。むしろアイロン台とベット・インしたほうが無難なような気がする。久しぶりに見た、New Order"krafty"のクリップを観ておもう。なぜわたしはかれらみたく恋愛できないんだろうと。
 今週はこれといった収穫もない。ただ過古に傷つけられたという理由でふたりの女性に絡み、攻撃を加えた。受け取った悪意を返してあげたというわけだ。なんのことはない。かの女らは反省しないだろうし、口先で謝って、けっきょくあとで舌を出すんだ。まったくもってしょうもない行為に走ったものだ。くそくだらないし、くその役にも立たないざれごと。しまいにはかの女たちの実家の住所を書き込んでしまった。わたしは敵を求めてさまよう犬でしかない。
 本来なら今週はヴィム・ヴェンダース作品「アメリカの友人」と小川太郎「寺山修司 その知られざる青春」を種にものを書くはずだった。けれど手前の不始末でこのありさまだというわけだ。先延ばしだ。いままでのわたしはひとに対して従順だった。従順すぎたんだ。なにをいわれてもいい返すことができず、いわば人間のかたちをしたサンドバッグだった。わたしはせめてもの、というつもりでひとびとを攻撃してった。一晩経ってから、かつておれをブロックしたやろうから伝言が来てるのを知った。
 まあ、たしかに対等なやり口じゃなかったことは認める。なにせ相手の弱みを種につっかかったんだからな。けれどもやつがわたしに言及するのはお門ちがいでしかなかった。だってそうだろう? やつはおれがどんな責め苦を味わってきたかを知らないうえに一方的におれのことを閉めだした人間なんだからさ。
 《なんできみがでてくるだ? この件には関係ないじゃないか。それにきみはおれをブロックしてるはずだ。友達? それもよくわからない。ただのアカウントの羅列じゃないか。ただおれは受け取った悪意を返してあげてるだけだよ。田中良和にも槇田修一郎にもそうした。まあ、「一個人ではなく、全体に対して」という指摘はあながちまちがってはいないがね。ただおれのいまの心境はメアリー・シェリーの小説「フランケンシュタイン」にでてくる名前のない怪物みたいだ。じぶんをこういった悪意の塊りにした相手を不器用にさがしまわってるんだ。さて、ほかにいうことは?》
 わたしは相手にわたしの電話番号を教えた。けれどもなしのつぶてだ。もちろん返事も返ってこなかった。こういったものがひとを撰ぶ指標になるというのにだ。哀れなるかな。じぶんの置かれた場所に尊重をおいてほかはどうでもいいといってるみたいなもんだ。なぜおれのおかれた場所を批判しないんだ。それこそ逃げというものだ。甘ったれた態度というほかはない。まあ、どうだっていいことだ。わたしは攻撃されるということに馴れてしまってた。けれどそれはまちがいだった。こちらが慣れほど、相手はつけあがるんだからな。わたしは遅くともしかるべき対処をとったまでだ。一種の防衛反応である。しかし今度は中一時代の同級生がこんなことをいってきた。
 《やり返すって言うけど、まず方法がおかしいわ。あれこれ受け入れられへんやら昔のこと言う前に、今の自分が人とちゃんと向き合えるようになろうや。相手の現在とか状況考えずに攻撃するとか、童貞よりよっぽど信じられへんよ。陰で言うん嫌いやからはっきり言うけど、同級生で今は関わりも薄い人達に迷惑かけるなんて、最低やと思うで。これ読んでロミオ状態にならんといてな。当たり前の事言うてるだけやから。》
 またしてもじぶんのちっぽけさにあきれてしまう。それからまたしても酒を呑みながらこいつを書いてるというわけだ。なんともしょうもない男。けれどもそれに耐えなければやってけない。わたしはbloodthirsty butchersの"地獄のロッカー"というなまえには似合わないセンチな曲を聴きながらこいつを書く。わたしにできることはそれだけだ。もう十年以上過古の幻影に惑わされつづけてる。いろんな人間にからんではくだを巻く。じつに器の小さい男だ。そういったじぶんの欠落をみないわけにはいかない。それでも狂気はどこまででも追いかけてわたしを虜にしやがる。なんてこった! しかも逃げる手段はないときてる。ああ、やっかいなありさま。来週こそ、ほんものの文章を書こう。きょうはどうしてもこれだけしかものにできやしないんだから。ついまえにこんな歌詞をおもい浮かべたことがある。

  普遍にそっぽをむかれ
  あたりまえにきずつき
  またもおなじように
  できごとはくりかえす
  天気は明けから晴れて
  まるでわるいジョーク
  それでも右に倣え
  左に倣えで
  うらはらに笑いだす
  うらはらにおどけてる

 いまのわたしはこれに書いたことにつきる。けっきょくだれの理解者にもなれないし、だれもわたしの理解者にはなれない。所詮はある一定の体面を保つためにそれらしいふるまいをするしかないんだ。遙か彼方を鳥が飛ぶ。わたしの言葉ではその鳥を撃ち落とすことすらできはしないだろう。人恋寂しい日日に甘んじるしかあるまい。それはとても苦いことだ。それでも書くことはそれを明文化することでいささかの癒やしをくれる。もはや会うこともないだろうひととわたしを繋ぐのは、わたしのやらかした愚行ではなく、こうした言語活動の領域のみでしかないんだ。
 そうした一連の事実とひとつの真理をたずさえ、わたしはまたしてもわたしのパロールに帰ってくるんだ。今回はだいぶ短くなってしまったが、それもしかたのないことだ。ではおやすみ。あなたがたがいい夢をみられますように、さ。
 そしてわたしのうちなる侏儒たちになにかいってくれよ。


 
 

11.24.2014

フロム・ア・ジャックオフ・マシン#2

from a jack-off machine#2


 またしてもふんづまり。金は喪い、喰うものもたいしてない。本と音楽にほとんどを遣い果たしてしまってた。これといってできることもないから、路上を眺める。ほとんどだれもいない。だれも通らない。そんなところだ。きのうもきょうもあしたも運勢のうえじゃあ凶という。なんということだ。そうとも、そんなものになびいてしまうのが、ほかでもないこのわたしなんだ。一九八四年七月三日火曜日午前九時西脇市民病院にて誕生した、このわたしが。産まれてこのかた、周回遅れの人生を送ってるがためにどうにも拗ねた態度を決めこんでしまう。日曜日だというのにわたしには話す相手も、でかけるべきところもない。まあ、どうだっていい。それが苦痛となれば、でっちあげの幻想でも使って慰めるしかない。──この一瞬中学時代をおもいだす。十五歳のわたしは聖夜まぢかの深夜、コンビニエンス・ストアにいた。たまたまみつけた「UREKKO」というポルノ雑誌に惹かれたものだ。見棄てられた田舎者にとって川島和津実や沢田舞香が美しかった、まぶしかった。後日本屋で買って以後、いまも持ってる。それこそどうだっていい感傷に過ぎないが。
 ごくありふれた苦痛というものは、たかがそれを踏む手順といったもの、あるいは公けにはされない手法といったものによって、いくらでも愛されたり、憎まれたりが、いともたやすく繰り返される。かつて──十五年ほど昔しにどこぞの老歌手が国家をヘア・スタイルに喩えたのはごくごくあたりまえの反応に過ぎなかった。施政者というものは、旗色のちがいこそあれ、地上のものにとって害悪でしかない。ただただひとはその害悪のうちからじぶんにとって心地のよいものを撰びだすだけであって、害悪そのものを除外しようとはしない。だってそうだろう? そんなことに視線をむけてしまえば集団からは脱落するし、最小限の撰択権というものを喪いかねないからだ。へたをすればのたれ死に、うまくいっても社会性といった篩からは、はじかれちまう。──というふうなことをわたしは自涜を終えておもったりもする。賢者モードってやつだ。もちろんこんな戯れごとはなんの役にも立たない。認識のための認識だ。社会通念という万人共通のコードを通してみれば、「まずは、まともな職業に就き、月給三〇万もらって、妻子を養ってみろ」と返されておしまいだ。それでわたしは自身の苦痛を愛するしかなくなるし、そのほかの苦痛については放りだしてしまうしかない。たとえば政治屋さんの演説を注目してみればいい。かれらがやってるのもいかなる手順を踏んでじぶんたちが与える苦痛を愛されるものにするかでしかない。先日共産党の男が民主主義の限界ではなく、「危機」を訴えてた。矛盾してないかとビラ配りの学生を捕まえた。するとかれはこういうんだ、「段階的に共産主義へと」だってさ。あとはニヤけづらをそっぽむかせて相手にもしない。わざわざ聞き返すわたしが無粋なんだ。まぬけなんだ。
 わたしがああいった政治や社会活動に熱心な連中が気に喰わないのは、けっきょく自身の志向をなんら持たず、集団組織にからめとられ、利用されながら、なおもじぶんでは「自身のために利用してる」とおもってるからだ。まあ、利用のされかたにもいろいろある。昔し「スペース・ヴァンパイア」という映画があった。ちなみに原作は「アウトサイダー」のコリン・ウィルソン。全裸のマチルダ・メイが件の宇宙吸血鬼だ。男に抱きついたとおもったら、一瞬で精気を吸われ、木乃伊になっちまう。あれなら、いいかもな。政治に右も左も真ん中も存在しない。そいつは幻想だ。ひとの精気を吸い取って生きてるごろつきどもの個体差があるだけだ。いまはたまたま自民党に眼がいってるが、民主党にしたって誉められたものじゃない。きのうきょうと小学生四年生を騙った特定非営利活動法人の代表(わたしよりも十歳も幼い!)が泡を喰って、謝罪などだしてた。こいつらはビラ配りの学生とちがって、たくさんの背後関係(ばつぐんなのはそのなかにパチンコ屋がいるってところだ)や資金の流れがからんでるから質ちがわるい。政治や社会に興味を持つなとはいってない。ただいい加減に組織や利権構造を隠れ蓑にしたり、その臀に乗っかってものを垂れるのはよしてくれというだけだ。そんな在り方でしか、だれもかも政治や社会にむかえないというのなら、その程度の人間でしかないし、その程度の社会というほかはない。わたしはその光景を眺めてるだけだ。けれども政治的ごろつきどもは謳うんだ、"撰挙権を行使しないのは反社会的だ"と。ああ、そうかい? でもだからといってそんな文句がごろつきどもの免罪符にはならないってことも勘定に入れとけよな。現時点でわたしの票が役に立つということにはならないし、けっきょく淫売の群れからできるだけましな淫売を撰びとれってだけだ。ひとりぼっちにできることなんかなにもない。まだひとりひとりの価値と個性と思考を生かせるほど、人間は成熟してない。もちろん社会も文明もだ。そうこうするうちに今度はJCC副会長と山口組々長との写真が記事に載る。てなわけでわたしはこいつを書いてるわけだ。ないものねだりはやめておこう。
 苦痛が訪れたとき、まず捉えなければならないのはそれがそとからきたものなのか、うちなるものなのかということだ。後者は甘受するしかない。だってそいつは自身の志向へとたどり着くために必要な負荷であるからだ。けれどもそとからやって来た苦痛には対決しなければならない。だってそいつはこちらをうち滅ぼそうとしてるからだ。一時的にしろ、継続的にしろ、自身とそのほか大勢を切り離し、うちなるものに沿ってものごとをみつめる必要が、この日常のなかで必要になっていく。けれどそこで警戒しなければいけないのは傲慢に誘惑されてしまわないことだろう。いまはしっかと魂しいを握ってろとしかいうほかはない。
 十一月も残すところ、あと一週間。今月はjet johnsonの"november"という気に入りの一曲をたっぷり聴くつもりだったが、いまのところ二回だけ。そんでもって漫画の話しは予算不足で雲散霧消。来年の録音にとスタヂオ代を一万貯めるつもりも散財。あとはスパゲッティのみ。またも糖質の塊りだ。おまけに痛風は悪化。ボルタレンの世話になりつつ、精神を屹立させようとする。だが残された望みもあとほんのちょぺっとしかない。気狂いの生活。そういえばヴィム・ヴェンダースの「アメリカの友人」を借りてきたのだが、まだ観てない。まだだ。なにごとも時間がかかる。この散文にもだ。もう月が昇った。フランスでは月(la lune)を女性名詞というらしい。イタリア語も同様で、たしかピエル・パオロ・パゾリーニの映画に「ルーナ」という娼婦がいたっけ。わたしはいかにも中年男らしい感傷である女性のことをおもった。
 かの女を知ったのは小学校六年のときだ。とにかくあかるく快活だった。わたしはそれだけで縁遠いものを感じ、ただ「おっぱいの巨きい子だなあ」と遠くから見つめてた。それから日に日にかの女の挙動が、存在が気になりはじめた。けれど「好きだとおもっては負けだ」とみずからに科した。それもそうだ。おれはできそこないのうえ、好きなひとができると決まってだれかに打ち明けてしまい、本人の眼のまえで暴露されてさげすまれてしまってきたからだ。二年のときは妹に、三年のときは近所の主婦に、四年のときは同級生にだ。それでもって五年の一時期は男子みんなのなかである遊びが流行った。それは突然はじまった。「ミツホの好きなひとはァ──!」とだれもかもがわたしに出会すたび叫び、わたしをからかうんだ。もちろんかれらだれもわたしがだれを好きかなんて知る由もない。けれどわたしは釘でも打たれたかのようにとりみだしてしまうんだ。だからじぶんのうちっかわでさえもかの女への好意を認めるわけにはいかなかった。たしか上半期も過ぎたあたりだったとおもう。夜、はなれの二階でテレビを観てた。やがて番組が終わってテレビのスイッチを消した。一瞬で静まる室内、じぶんのほかはだれもない。ここでちょいとおもいつく。この先の、ほんちょっとの時間だけ素直になろうと。で、わたしはそれをした。それから十七年間ものあいだ遠い片恋に苦しむことになった。
 現実、かの女と話したのは二回だけで、ふたつともかの女からの声だった。一回めは六年の終わり、自己紹介のカードを渡された。嬉しくて仕方がなかった。でもそのあとがいけない。ずいぶんとわるびれた冗句を書いた挙げ句、それを教師に取りあげられてしまった。
 「これをだれからもらった?」
 髪を撫でつけた担任がいった。こいつは一年のときもわたしを担任してた。そして手前勝手な解釈でわたしが浮浪者をばかにしてるとし、教壇で吊しあげやがったやろうだった。当然わたしはいえない。でもきょっくは吐かされてしまった。わたしがうしろにさがると、かの女が呼びつけられる。なにかいわれてる。かわいそうだ。でもできることはなかった。ちくしょう、あのくそったれめ!
 中学にあがるとわたしは七組に入れられた。幸いにして八組ではなかった。あそこは特殊学級。わたしはまったく知らない中学生のふたり組に小六のとき、からかいの対象にされてきた。かれらにわたしを引きあわせたのは中井竜之介というおなじ生野高原の悪童だった。こいつにはさんざん痛い眼に遭わされてきたもんだ。ふたり組はわたしに宣告したんだ、おまえは八組行きだと。ああ、話しは逸れてしまった。七組は一階にあった。でもほかは二階。よっぽどの用事がなけりゃうえにあがることもない。おなじ学校にいるというのにまったくかの女に逢えなくなってしまった。三年になってようやくかの女とおなじクラスになれた。けれどもわたしはもはや登校不能の状態だった。というのもこっぴどい対人恐怖にからめとられてしまてたからだ。もったいことをしたといまでも悔いてる。修学旅行にさえもいけなかった。そしてわたしはなし崩しで夜間高校にいくことになった。たいてい昼の三時に家をでた。山道を登り、下り、駅まで一時間半歩く。
 まだ四月。入学してごくわずかなころだった。駅ビルで余った時間を潰してると、
 「ミツホ!」
 呼び声がしてふり返るとかの女だった。かの女の隣には田中というおれがきらいなやろうが立ってた。でもそんなことはどうだってかまわない。かの女が笑顔で話しかけてくれるのが嬉しかった。けれど同時に怖かった。なにか下手なまねをしでかしそうでならなかった。もったいないことにじぶんから会話を切りあげて逃げてしまったんだ。それきり逢うことはなかった。通学するたびにきょうこそはとおもったがだめだった。空想のうちっかわではかの女とどう話すか、どんな話しをするかでいっぱいだった。やがて十七になり、十八になった。空想は終わらなかった。夜間高校でも好きになったひとはいたが、それでも未練があった。十九になった。空想のなかでわたしは狭いアパートぐらしをしてた。そこへかの女が訪ねてきてくれることやなんかをおもった。二十になった。成人式にはいかなかった。ばからしくてならなかったし、「二十の高校生」という身分が恥ずかしいからだ。それでも同窓会がある。そこにいけば逢えるかも知れない。前回にも書いたけれどこの年、タイムカプセルを掘りおこすはずだったからだ。けっきょく呼ばれなかったことでわたしはすっかり拗ねてしまった。翌年高校をでると六年間さまよった。
 去年の五月、わたしはおもに病室で寝てた。はらわたを傷めてしまってた。そして次第に死ぬことばかり考えるようになってた。そのときだ。そのときになってはじめてかの女に逢いたいとおもった。たしかにかの女のあとにも好きになったひとはいたが、そのふたりはどうやっても連絡できないことがわかってた。けれどかの女ならとおもった。退院后、ほったらかしだったFacebookのアカウントをひらいた。かの女を探した。それらしいのをみつけた。でもいきなりかの女に「友達になってくれ」とはいけなかった。とりあえずはかの女の周辺、片っ端から過古の、小中の同級生どもにリクエストを送った。そうしてかの女と共通の「友達」をつくってから、かの女にリクエストを送った。でも、なんの返答もない。二ヶ月近く経って、とうとうわたしは二十九になった。意を決してかの女に託けを送った。書きだしたら歯止めが利かなくなった。十七年間好きだったこと、文学をやってること、音楽をやってること、絵を描いてること、絵をもらってほしいということ、そして最悪なことに死のうとおもってることまで白状してしまってた。それがかの女を刺激してしまった。かの女はかつて同級生や後輩の自裁や病死に語り、「命を粗末にするひとはきらいです」と応えた。あわてたわたしは弁解に走った。そうとも、愚かものほど弁解をしたがるんだ。病気で気分が落ち込んでたんだといった。かの女は応えなかった。わたしはかの女の友人のなかにじぶんをさんざばかにしてたやつがいるのをみつけた。そしていった、「あんなひとの存在を粗末にするやつは赦すのか」と。これは妬心の為せる業だ。あとは一方通行のやりとりだけだ。たった二日ですべておしまい。

 《あなたの記憶にある私は今でも中学生の私なんですね。彼らだって同じだけの年をとり大人になって過去の自分を恥じることもあるだろうし、私だって思い出したくない過去などたくさんあります。そんなことを言うと、あたなにしたら、どうせたいしたことないのだろうと思うかもしれないが、あなたにとってはたいしたことなくても私にとっては大したコトなんだよね。価値観は人それぞれ。人との距離の取り方も人それぞれ。ただ今の私に言えることは、正直あなたに対して少し戸惑いがあると言うこと。それは好きとか嫌いとか軽蔑するとかそんなコトではなくて、私なんかがあなたの人生を左右してしまうことになって良いのかと言う戸惑いの方が大きい。自分に責任は持てても人のコトまで責任持てるほど出来た人間でもそんな器の人間ではないと思うから。》

 このあともわたしは一方的に言葉を送った。でもなんにもならなかった。じぶんの存在が根っこからまちがってるとおもった。たしか今年の二月あたりだったとおもう。共通の「友人」──ちなみにかれもかの女もそしてわたしの母方も同姓だ──の投稿にかの女がコメントしてるのをみつけた。「また遊ぼうね」とあった。またも妬心にかられた。その「友人」とはけっきょく訣別した。そして今月の十二日、わたしは最後の託けを送った。

 《さんざ失礼な発言をしてほんとうに申し訳ありませんでした。ぼくにはもう死ぬ気はありませんのでご安心ください。ぼくの存在があなたを戸惑わせてしまうのもわかります。わたしは人伝いにあなたに家庭があるのを知っていますから、もうなにもいうことはありません。たしかにあなたのことを好きだったし、相手にされないことが怨めしかったときもありました。でもこれからはじぶんを受け入れてくるひとに発信しようとおもいます。来年には第3詩集をだします。音楽もスタジオを借りて録音します。あなたからの反応がなくともぼくはやり通します。ぼくがあなたによって人生を左右されてしまうのは、ぼくの自己責任です。どうかお元気でいてください。それではさようなら。》

 きょうはおもに小川太郎「寺山修司 その知られざる青春」を読みながら過ごした。寺山修司もまた片恋をしてた。相手の女性の証言はまったくそっけないもんだった。そしておもいつきに短歌を書いた。ひさびさの定型詩。けれど、そのどれもがかの女を詠ったものだった。けっきょくわたしは最後の最後まで卑しいんだ。こうして話しのねた、作品のねたにしてしまう。負けて勝つとはよくいったもんだが、そいつは決して美しくはないんだぜ。おれのことをくそみそにいうのならどうぞご自由にしたまえ。ただしじぶんもくそみそにされる覚悟があればの話しだ。自身のうちに吹きすさぶかぜを確かめてため息を吐く。寂しさや迷いが零れでてる。これもごくごくありふれた苦痛の一形態だ。おれはリルケを口吟さむ。「おお、夜々よ、悲愁の夜々よ、そのときおんみらは如何にわたしに親しいものになるであろう(ドゥノイの悲歌)」と。


  神代の遠き御空に奪はれてひとり屹つ身の醒めきらぬ夢


  わがうちの処女地あらんかかのひとの呼び声聴きし十五の春よ 


  訪れしかの日のゆかこおもひつつわれは喪ふ青年のとき     



11.16.2014

フロム・ア・ジャックオフ・マシン#1

from a jack-off machine#1


 もはや初冬だ。なるたけ暖房装置に頼らないようにジャケットを着て、こいつを叩き込んでる。おもてはすっかり夜で、七時だというのに台所では冷えた押麦の粥が残ってる。わたしはContortionsの"Buy"を聴きながら、書き始めた。きょうは日曜日。朝には昨晩の残りものを口にして、そのまんまずっと画面のまえにいる。訪れるものも赴くところもいっさいなかった。さまざまな企みが去来し、また消えていく。ストーリーの発想、ギターソロのイメージ、幾人かの失恋相手など。
 けっきょくのところ、漫画賞の計画はずいぶんと小さくすることとなった。なにせ準備期間がなさすぎる。というわけで十数枚ほど小品を送りつけることになるだろう。きょうの運勢は凶。つまりまたもやお預けを喰うというわけだ。今年の成果はふたつだけ。詩集の出版とライブ出演のみ。あとはこれいったものはなし。自身とそのほか大勢との乖離を怨めしくおもいながら、ただただ詩を書き散らした。図らずもわたしの生は疎外のうちに抹殺されようとしてた。つまるところ、自身が数えきれない他者たちと決定的に断絶してるという、恐怖と不安にひどく、それもこっぴどくやられてたんだ。ここらで脳を休めて、悩まないことにしょう。去年よりは今年、そしてきのうよりきょうのほうがよりよくなってることにはちがいないのだからだ。とりあえず、この文章、このシリーズには規範をもうけないことにした。ただそのときどきで、できるだけ息長く書くことを主眼におくことにした。なにせ、わたしはあきっぽい。半端なところで手を止めてしまいがちだ。これからもずっとつづく書く行為のなかでもっともっと歩きたいから、うちなる"射精"(=jack-off)といこうじゃないか!

 夏のこと、ずいぶんと旧い出来事に属するけれども、わたしは西宮市は山口町の山口中学校に自著を送った。母校の図書室に寄贈するためである。けれども本はもどってきた。なんの理由も知らされず、わたしは失望を憶えた。あらかじめ寄贈の話しも伝えておいたにもかかわらずにだ。電話で問えば「中学生にはふさわしくない表現があるという声が職員からあった」ということである。それは理解できる。けれどその具体へ肉声をもって言及しないことにつよい不信を憶えた。たしかにわたしの詩には性表現も若干あるし、ある種の貧しさや、卑しさ、負の表現もある。孤立については猶更だ。ただそういったものを着地点として描いたつもりはない。また、いたずらに扇りたてたわけでもない。
 森忠明先生はそれを聞いておおいに笑った。曰くわたしが母校にいやがらせのために送ったと解したという。対してかれの秘書である、童話作家のたかはしけいこ氏は「かれは本気で母校においてもらおうとおもったのよ」といったらしい。そうとも、わたしは本気で母校においてもらい、あわよくばわたしに興味を持つ人間の登場を願ってたんだ。失恋の相手にうしろ砂をかけるような言い草をすれば、わたしはあの中学校も山口町も大変陰気で気風のわるい場で、きらいだ。とても、とても、きらいだ。そこに棲まうひとびともきらいだ。
 第一に品性のかけらもない。第二に非常に攻撃的で獰猛ですらある。あるいはニヤニヤと笑みを浮かべてひとを侮辱し、実績と信頼だけはちゃっかりものする連中の巣窟だからだ。そこにいる教師たちとておなじくきらいだ。かれらは攻撃的で獰猛なくそったれヤンキーどもをいともたやすく容認してしまう。なぜならば、やつらの行動があまりに図式的であり、解の公式ができあがってるからだ。ヤンキーどもはそとづらの反抗的態度とはうらはらに、ただ単純に体制側に甘えながら拗ねてるだけなんだから、適当に叱り、そのあと誉めておけば問題はないと考えてる。だが図式や公式の通用しない相手が登場してきたとたんに教師というものはいきづまる。わたしがいい例だ。生来わたしは他人を不安にさせる。なにをしても、しなくとも、だ。背景に学習障碍や注意欠陥多動性障碍やらなんやらあるにせよ、とにかく奇矯だ。ひとが想像だにしないことやるのがあたりまえだった。最近になって気づいたのは、どうやら左脳の機能が弱かったためのようである。論理や思考が働かず、右脳のイメージや直感によって行動してたからだ(聞くところによれば現在では、そのような子供は幼児期からすぐに「進歩」した医療によって病名と薬物を与えられるという──ご愁傷様だ)。まあ、それをさっぴいてもわたしはまぬけであったし、晩熟であった。攻撃のかっこうの的だった。 
 けっきょくわたしは攻撃に屈した。こっぴどい視線と対人への恐怖を抱くことになり、それはいまもつづいてる。象徴的なのは卒業の日、式が終わって三階の欄干からおもてを眺めてたときだった。生徒会長の中島という男が低脳タイプの子飼いを連れて、わざわざわたしのところへやってきた。ちなみにやつとは二年のときクラスがおなじで、出会ってそうそう、得意のニヤニヤ顔で「おまえの噂は聞いてる」と宣言しやがったやろうだ。そのときとおなじニヤニヤ笑いでじぶんの卒業演説を自慢してきた。いったいなにが狙いなんだ? そんなまねまでしておれを惨めな気分にさせたいのか? 「自画自賛かよ」とわたしは応えた。それでもやろうのニヤニヤはやまなかった。できることは沈黙して去ることだけだった。かつて同郷の男がやつのことを「かれこそ男だ!」と宣って、わたしは「冗談だろ? 正気か?」とおもったものだ。ああいったやからが体制側に立ってひと垂らしをしてるのかとおもえば苦いものを感じる。ただ以前よりも過古の残響音に苛まれることがなくなってきたのは幸いだ。それに尽きる。これは作品へのそとからの評価によってではない。内なるもの──単純にいって個人や個性というものをおもったとき、それら単語の意味、規定されるところが決してそとにないということに気づいたからだ。集団や体制側がそれらを口にするとき、個性や個人には眼にみえない枕詞が決まってつく。それは「集団や体制にとって都合良く、飼い慣らすことが可能な」個性であり、個人であるということだ。ひとびとあまねく要求されてるのは食肉としてのそれらに過ぎない。群れから離れず、牧羊犬に従い、主人に仕え、業者によって屠殺され、精肉され、大手企業によって売買され、大量消費されるにふさわしい個性と個人である。
 かたわれにだれもなく、わたしがひと恋しく寂しいおもいをしてるのは事実だ。恋愛などの経験もなく、友人というものでさえ、それを定義する方法によってはいないともいえてしまう。すでに肉親とは遠く断絶してるうえにこの土地の人間ですらない。けれど、わたしはいまこそ孤立に価値を見いださなければいけない。《数の増大のなかで酔って歌うのは、だれにでもできる。だが、屹立し、醒めて歌うこと(寺山修司「ある家出少年への手紙(「ぼくが戦争に行くとき」)」1969)》こそが必要なんだ。もしかしてわたしは狂ってるかも知れない。そうおもわれても、それだけのことだ。個性を持つということはちがいを持つことであり、究極をいえば群れから別離することだ。こいつは苦しい。しかし《この業苦の内の、おのれだけのやり場のない孤愁を中軸として、人間はおのれの人間的成熟の年輪を徐々に積み重ねていくのであって、その孤愁に耐え続けることのできなくなった時、その人の独自の人間的成熟は停止して(霜山徳爾「共業性(「素足の心理療法」)」1989)》しまうだろう。
 もう他者に期待し、裏切られかみたく失望するのはよそうじゃないか。腐敗した町、学校、人間、そんなものはほっておけだ。これを読んで不愉快におもい、また怒りにかられるひとびともでてくるだろう。それはわかりきったことだ。しかしわたしというレンズから見える光景はここに提示した通りであって、うそはない。純粋にうちなるものに従ったまでだ。あなたにべつの光景があるなら、それはあなたが語ることであって、わたしの責任でもなんでもない。勝手にしやがれ、だ。あなたの人生はあなたの人生でしかないし、わたしの人生もやっぱりわたしの人生に過ぎないんだから。
 そういえば十年まえ、二十のとき、「生活体験発表」というものが通ってた夜間学校にあった。ただの作文朗読だ。愚かしいことにわたしは四年制を一年落第してたから、そいつの番がついにきてしまったというわけだった。作文はたやすかった。停学のおりには必ず書かされてたし、いかにして書けば教育者とかいう人種の自尊心を擽れるかがわかってた。わたしは種本にロシア詩人エフトゥシェンコの「早すぎる自叙伝」を撰び、さっそく書き始めた。けれどこれは同時に寺山修司「わが詩的自叙伝(「書を捨てよ、町へ出よう」1968)」の模倣でもあった。自身のこれまでと現在を短い章にわけ、そのあいだに当時はじめたばかりの短歌を挿入、三時間で完成した。そして発表。けれどもここでヤッカイなことになった。作文が二位になり、二十を過ぎて「高校生フォーラム」なる催しにだされるはめになってしまった。こいつはかなり恥ずかしかった。壇上にあがるのは女の子ばかりだった。男はわたしを含めふたりきり。いま演説してるのは演劇部員の女の子だ。お寒い科白を叫び、叫び、叫ぶ。しかもつづまりながら。それから男。自裁した同級生の死を起点にした文章だ。素直にじぶんを語ってる。わざとらしさはない。まあまあ、わるくない。
 そのつぎ、また女の子。それもとびっきりの女の子。正直おれの好みだった。さてその演説だ。読みはうまい。でも内容ときたら、ろくでもない。
 「世界では貧困が!」
 「紛争でひとびとが!」
 そういった飾りきった詠嘆調のくりかえし。うんざりだ。じぶんの足もとのことなんざ一行も書いちゃいない。容姿で文章を売りこんだとしか考えられなかった。おーおー。遠い昭和のメロドラマ。おーおー。あまりにも視点が無責任すぎる。対岸の火事に群がった野次馬の叫び。かの女自身がその貧困や紛争とやらにどう繋がっていくのか、あるいは共犯関係があきらかにされるかを待った。しかしそいつは最後まで姿をみせなかった。いっぽうわたしはじぶんの文章を見直して、じぶんですらきざったらしいとおもうような箇所や、挿入した下手な短歌を消してった。あるいはへりくだった表現を改めた。そして最後に平井弘と寺山修司の短歌を一首づつ、配置した。やがて順番が来て、貧しい身なりを壇上に曝した。
 そして授賞式。撰ばれたみんな女の子たちだ。演劇部の叫び屋も、野次馬の美少女も一緒くた。くだらない。さっさとロビーへでると、以前に赴任してた書道教師──かれはかつて教え子と結婚してた──が油ぎった顔に笑みを浮かべ、話しかけてきた。そして夕飯を奢るみたいな程度の言い回しでコーヒーを奢ってくれた。かれはわたしが文章の結びに書いた、「大学にいく」という表明をいたく気に入ってた。それもそうだ、夜学の落第生が向学心に目覚めるというのはいともたやすい、擽りの手法であるからだ。わたしはすぐに話しを終わらせて会場をでた。そして餃子を喰い、かるくビールを呑んで遅く、学校にもどった。遅くもどったことを担任が怪しんだが、なんとかごまかせた。数日後、「フォーラム」の文集が届いた。白黒だが写真も入ってて、わたしは幾度も野次馬の女の子を眺めた。いっぽうで父はわたしの文章にえらく御立腹ときた。曰く「ここには書かれてないことがある! うそが書かれてあるのとおんなじだ!」。もしかしたら「地下室の手記」を種本にするべきだったのかも知れない。ともかくこんなことが十年まえにあったんだ。
 そしておなじころ西宮市の北六甲台小学校では同窓会がひらかれてた。わたしの知らないあいだにだ。呼びかけ人の山田という女はわたしを不要と判断した。去年聞いたところによれば、教師三人と五〇人の卒業生たちが集まり、タイムカプセルを掘りおこし、やがて同級生たちがそれぞれの二次会へとくりだしてったということだった。わたしは二十の暮れに一句だけ詠んだ。たしかこんなもんだった、《孤独者に麦は展きて道なせり》。
 
 きょう、中央図書館へとむかうさなか、献血の、くそうるさい呼びかけを聞いた。わたしは献血などしない。精神系の薬品を常用してる。そうでなくとも日本赤十字社という民間団体の利益に寄与したくはないからだ。かれらはひとからタダで血液という人間のもっとも重要な個人情報を抜き取り、病院に独占販売して儲けてる連中であり、所詮は利権構造の一主体に過ぎないからだ。ばからしいかぎりである。そのいっぽう世界では西アフリカを中心に薬品会社と医療機関、そして見えない連中による複合体が活躍中だ。ニュースに映った白衣や防護服着た男たちは、もしかしたら便衣兵かも知れない。いちおうはこの日の本にとっていまは対岸の火事らしい。しかし「エボラ出血熱」と見做され、「ワクチン」と称するものの餌食にはなりたくないものだ。
 いつかだれかがわたしに指摘したように、わたしは自己限定が非常に厳しく、書く世界も息苦しい。けれど、それも順路のひとつに過ぎない。ただいつも可能なものを創りだしていくほかはない。ただ、そうおもってる。


  穏やかだ
  なにもない
  友達はみんな死んだ──eastern youth「鉛の塊(1997)」冒頭歌詞


10.30.2014

日記

10/4

 タワーレコードにてモップス「雨 モップス’72+2」購入。今回の再発は四月なのだが、情報に疎いものでわたしが気づいたのは九月の終わりに店頭でだった。「雨」はまえにもCD文庫版をもってたのが、好きなアルバムなのでとりあえず買った。

10/15

 勝川克志「まぼちゃん旅行記」を古本で買う。これは小学生高学年のころ、朝の再放送で流れてたアニメ「まぼろしまぼちゃん」の原作なのだが、たった四話で完結。あとは短篇がつづく。なんとも惜しい気分。おまけにアニメのほうは未ソフト化という始末。

10/19

 宅録でつくってたアルバムのデモ音源がすべて完成。さっそくCD-Rに焼く。

10/22

 デモ音源から一曲のみ録音し直す。表題曲「1984年のピープ・ショウ」。それから十二月のライヴ・イヴェントのむけて十数枚CD-Rに焼いた。

10/23

 印刷機の黒インク、六弦二本、紙製のCDケースを買い、タワーレコードでモップス「御意見無用+1」を購入。同じくモップス「1969~1973+3」を取り寄せ。

10/26

 ブレイク・スナイダー「Save the cat の法則 本当に売れる脚本術」読了。大変わかりやすく、読み物としてもおもしろいものだった。もっと早く読んでいればとおもった。さっそく習作の脚本づくりにとりかかる。題材は過古に書いた短篇「旅路は美しく、旅人は善良だというのに」だ。

10/30

 月末は大概が憂鬱だ。金もなく、喰いものもない。そして一日中眠い。運勢は凶と来る。くそ、おれは救われない。──そうおもいつつ、脚本の習作なんぞを書いてる。あるいは歌詞の書き直しにあたってる。けれどもなにもかもがうまくいかない。と、そうこうするうちに夜だ。きょうになってようやく森忠明先生から葉書が届いた。

 《2,30年前、霜山徳爾は「政治とは、必ず相手を亡ぼさなくてはやまないものであり、人間を孤独の内に疎外することによって矯正するか、抹殺する」「地上の主人は悪である」》と書いたが、今回の詩群は、そのことの詩表現としてはカンペキに近く、われら残亡民の身心を治療する力を充分に持っている。特に「拳闘士の休息」「大聖堂」「鏡」「労働」。CDは未聴だが、詞は「海」がいいと思う》。

 しばらくのあいま、送った詩篇を読み返してみる。自身としては「聴雨」がいちばんなのだが、どうやらあてがはずれてしまったみたいだ。「拳闘士」にしろ「大聖堂」にしろ、あまりにもじぶんの私性を剥きだしにしてしまってて、書いた当人からすると、いささか気色のわるい代物だからだ。まあ、いいや。
 葉書の到着を電話にて報告。そして霜山徳爾について聞く。「人間の限界」、「仮象の世界」、「素足の心理療法」を薦められた。さっそくアマゾンで検索、安い古本をカートに入れた。慌ただしい会話を二〇分つづけ、おしまい。さて、これからどうする? これからどうなる?

10.22.2014

自作曲コード譜

「1984年のピープ・ショウ」

 01_清掃人 sei-soh-nin(a cleaning person) inst 
 02_水を呑む男 mizu wo nomu otoko (a man who drinks water) 
 03_1984年のピープ・ショウ 1984nen no peep show(peep show in 1984)
 04_うまくやりおおせればいい umakuyarihosebaii(you should succeed in doing it well)
 05_声/夏の夜 coe/natz no yoru (the voice) inst
 06_kaze-bungaku(the literature of the wind in February)
 07_海 umi(a sea)
 08_CQB

songwriting, performanced by nakata mitzho 中田満帆( http://nakatamitsuho.digiweb.jp/ ).
from demo tracks album"peep show in 1984 (8 demo tracks)".
download a track or full album : https://nakatamitsuho.bandcamp.com/album/peep-show-in-1984-8-demo-tracks https://www.youtube.com/playlist?list=PL9homsTEbl0sTJLhJMlX2G9B5AIQ4S4vT

「水を呑む男」


capo:02f

intro/F(no3) F#(no3) G(no3)
  F(no3) F#(no3) A(no3)
  F(no3) F#(no3) C#(no3)
 
C(no3)    B(no3) 
 欲張りな声放ち
 夏の夜、胸のうち
 七月の、中空と
 高くする、放水よ
A(no3)      A♭(no3)
 気まぐれな、声にただ
 従えと、うとましく
 ひとのない、室でまた
 懐かしい絵を見てる
C#(no3)    C(no3) 
 おれは待ち望んでる
 だれ知らぬきみこそを
 おれはまだ、諦めず
 ただでここで立ちつくす

AonE Em CM7
      水を呑む男
AonE Em CM7
      水を呑む男
AonE Em CM7
      水を呑む男
AonE Em CM7    Eaug
      水を呑む男

intro

 見栄張りな伊喜も失せ
 なにもかも散らかして
 十月の、たそがれに
 身を曝し、息をとめ

 何気ないふりを決め
 悲しみは放りだす
 きみのない、室でただ
 あたらしい絵を破く

 おれはまだ待ち望む
 情けなどいらないが
 幻視者のふりをして
 遠くまで眼をひらく  

AonE Em CM7
      水を呑む男
AonE Em CM7
      水を呑む男
AonE Em CM7
      水を呑む男
AonE Em CM7    Eaug Dsus4-9(no5) E♭6(no5)/*4
      水を呑む男 

AonE Em CM7
      水を呑む男/*5
AonE Em CM7    Eaug
      水を呑む男 



「1984年のピープ・ショウ」


capo:02f

main fiff / Am9 Em7
 あたらしい車で 鄙びた町まで
 かの女の消息 拾って走りゆく
riff [2] / CM7sus4 Em7  
 手をふる ひともなく
 灯しが 激しい
 いつかのおもかげが寂しくゆれるよ
main fiff /
 ふたりで通った 店はもうなかった
 どこにもいけやしない どこにもいたくない
riff[2]  
 呼び声すらなく 返しの声もない
 じぶんのなまえすら
       G  Gsus2
 忘れてしまいたい

main fiff /*
 かつてのいまごろは 戯れ暮らしてた
 なぜだろう? どうして?
 かの女は消えていた

riff[2]
 ぼくはもう赦されない 赦してはいけない
 過古から未来へ
       G  Gsus2
 触れるのが怖ろしい

main riff /*
riff[2] /*

AonE    Em11
 ようやくみつけた 窓越しのかの女に
 寂しい笑顔で こちらを眺めてた

 それでも会うことは やっぱりできない
        Em     G
 別れを告げてはひとりで出かけた
main riff /*
 あたらしい車で 鄙びた町ゆく
 モーテルの灯しが 静かにゆれている


「うまくやりおおせればいい」


capo:3f

Cadd9[no5] Dsus4[9] G6/*3

 岐路を過ぎて/いまだ
 いまだ運べない/自身
 不退転/遠く/遠く
 だれも/いや/しない
Em11(no5)    G6
  できることなら/いま
  できることなど/ない
  できることなら/会いたい
Cadd9 B7
 もしも瞞したければ
 声をかけてくれよ
 もしも腹が立ったら
 唾を吐きかければいい
C            G2
 うまくやりおおせればいい
C           G
 うまくやりおおせればいい

 秋の路地/にて泣き咽ぶ
 失態/黝い
 夢はまばら/星みたく
 やはり/だれも/いやしない

  はらからなど/いない
  はらわただけが/温い
  できることなら/いまだ──
Cadd9 B7
 どうか/忘れないで
 くたびれた/この/気狂いを
 どうか/閉ざさないで
 朽ちかけの/ふるい/木戸を

CM7 sus4 Em AonE/*3
5:20-6:13/ Cadd9[no5] E♭add9(no5)/*?

 ふるびたおもい/腥く
 行方なくし/放たれず
 回転/速く/速く/速く
 遠のいてく/ぼくのかげ
 きのうみたいに/おもう
 あごれていた/ものを
 でもきのうには届かない
 いくら問いかけようが
 だれの答えも獲られない
 いつか忘れられると
 ひとり立って待っている
 うまくやりおおせればいい
 うまくやりおおせればいい 

「kaze-bungaku」


capo;3f

Csus4        C
降り積む愁いしどけなくゆるい
黙りこくって見送った車窓
見知らぬ背中降り立った駅が
遠くかのひとのおもざしをみせる

AM9 Gaug5-6/*5

相槌もなくさまようがままの
溶けだしていく輪郭は近い
便りはぜんぶ破かれてしまえ
きみらになにもわかってたまるかと

AM9 Gaug5-6

 D6sus4      CM7 G6
 冬の外気、立ち向かうはずも
 冬の外気、あっさりと打たれ
 首を振った、屈辱の果ての
Cm7 sus4     Em  Asus2 Em11
 そこには    なにも残らない 

Csus4  C/

Gsus2(300033)  D6sus4/

G Gsus2(300033) 

二月のかぜの文学はいつも
過ぎ去ってったひとみたく淡く
二月のかぜの文学はいずれ
孤立のなかの手のひらに融ける

AM9 Gaug5-6

鷗が飛んだ質問の一羽
回答もせずに見送っただけさ
右へ左へと飛ばされるたびに
ぶ厚いかぜの壁を蹴りあげる

AM9 Gaug5-6

 アベローネ、もはやきみのことを
 アベローネ、ぼくは書きはしない
 手を振った、むこうにはなにも
 むこうには   なにも ない

Csus4 C

5f/3-2-0  

「海」


Eaug E Am
Am Cadd9 Eaug F G*3
A# A D Dsus4 D Dsus4

Am Cadd9 Eaug F G*3
 足並みもそろえられず
 凪いだ波ばかりをみてる
 探し求めた吉報もいまや
A# A D Dsus4 D Dsus4
 砂のなかに倦んでいる

F#m G A# A G# G/*4
F#m G 

 旅人が姿を消して
 もう幾年もが過ぎた
 愛しいものさえ遠ざけてしまうのは
 いったいなんでなんだろう

G2 CM7
  だれもいないところへ
  だれもいないところへ
  だれもいないところへ
Eaug E Am
  むかう

 乾いた肌を抱いて
 眠れず夜を過ぎ越した
 冬の惑星、灯火たちが
 きみの軒を過ぎる

CM9 Em7 Em-sus4/*
Eaug E Am

 港は夜に漂い
 夜は灯しにかき消され
 なまえをもたない鉛の塊も
 なんだか悲しくて

F#m G A# A G# G/*4
F#m G 

 つたない人生だった
 つたない寝顔だった
 ぜんぶが失せようと動いてしまっても
 うなづくだけだろうか

  だれもいないところへ
  だれもいないところへ
  だれもいないところへ
  ただむかう
  ひとり
  急ぐ

 
「CQB(白兵戦)」 


capo:3f

 F△4 Cadd9/*1
 Am7 Em7(13) /*1  

 F△4       Cadd9 
 麦畑、かれは佇んで 
    Am7           Em7(13) 
 みつ める、  あの山のむこう 
 Gsus2(300033) 
 鳶が鳴き、 
 CM7 
 火がまわる 
 AonE     Dsus    G   G2
 もうそこは   麦畑なんか じゃあない 

 CQB──かれは孤立して 
 みあ げた、 ひとびとのむこう 
 街燈が悲しみ 
 町がころげる       G
 もうだれも/きみをみてなど/いない 
  
AonE, Em/*4 

 B♭    C   B♭   C
  そうして/獲たものは 戦きの/美しさ 
  こうして嘆くのは 驚きのせいなのか?
 Eaug5  E7      Am7 D7
  だれか/答えて/くれないか? 
 Eaug5  E7      Am7 AonE
  だれか/答えて/くれないか? 

F△4 Cadd9/*4
Am7 Em7(13)/*4 
Gsus2(300033)  CM7/*4 
AonE Dsus G G2

 遠く、かれはうつむいて
 呼んでる、ひとつのなまえを
 なにも訪れず
 夜はまわる
 もう そこはふさわしいとこじゃない

 呼び声は 遠ざかるばかり 
 喪う 町のどよもしに
 かげがよろめき
 女がつばを吐く
 いつからか恥ずかしいみずからさ

AonE, Em/*4 

  そうしてただひとり/なにを望んでる?
  そうしてなによりも/戦きが美しい   
  だれか気づいてくれないか?
  だれか気づいてくれないか?

AonE, Em/*4 

D6sus4(*000203)    Em  
  かぜにまぶたをひきさかれ 
D6sus4    Em7(13) 
  青年、歩きだす 
D6sus4        Em 
  かぜに手足をきりさかれ 
D6sus4   Em7(13) 
  青年、走りだす 
 Cadd9  Gsus2(300033) 
  火を頬に 秘めながら 
 B7       G 
  ずっと呼びかける  
 

10.20.2014

一九八四年のピープ・ショウ(デモ音源集)

 
 本日夕刻、ようやくデモ音源が全8曲完成した。まだまだ不完全な部分だらけだが、これでようやく出発点に立てたような気がする。いかんせん、表題曲や二曲めの「水を呑む男」なんかはまったく時間をかけずにつくった。これから室で練習をかさねたり、ライブに出演しながら練りあげていこうとおもう。来月にはまた「あすなろ音楽祭」が雲井通の「バックビート」で行われる。ゆっくりでいい、とにかく来年の2月までには完全なものにして、スタヂオレコーディングに挑みたいものだ。
 とりあえず、以下のサイトで無料配布することにした。
"peep show in 1984(8 demo tracks)"
https://nakatamitsuho.bandcamp.com/album/peep-show-in-1984-8-demo-tracks




 清掃人 sei-soh-nin(a cleaning person) 
 水を呑む男 mizu wo nomu otoko (a man who drinks water) 
 1984年のピープ・ショウ 1984nen no peep show(peep show in 1984)
 うまくやりおおせればいい umakuyarihosebaii(you should succeed in doing it well)
 声/夏の夜  coe/natz no yoru (the voice)
 kaze-bungaku(the literature of the wind in February)
 海 umi(a sea)
 CQB

10.17.2014

CQB(a first demo track)


 本日は楽曲「CQB」のドラムを書き、試しにギターと歌を入れてみた。何時間もかかったのだけれど、ドラムもギターも歌もまちがえだらけとなった。まあ、第一回めはこんなもんさとおもって動画をアップすることにした。やり直しは明日以降にするとしよう。それしても鼻づまりのひどいこと。一年中つまりっぱなしだ。


video


「CQB(白兵戦)」 

capo:3f

 F△4 Cadd9/*2
 Am7 Em7(13) /*2  

 F△4       Cadd9 
 麦畑、かれは佇んで 
    Am7           Em7(13) 
 みつ める、  あの山のむこう 
 Gsus2(300033) 
 鳶が鳴き、 
 CM7 
 火がまわる 
 AonE     Dsus    G   G2
 もうそこは   麦畑なんか では ない 

 CQB──かれは孤立して 
 みあ げた、 ひとびとのむこう 
 街燈が悲しみ 
 町がころげる            G
 もうだれも   きみをみて  など いない 
  
AonE, Em/*4 

 B♭    C   B♭   C
  そうして/獲たものは 戦きの/美しさ 
  そうして嘆くのは 驚きのせいなのか?
 Eaug5  E7      Am7 D7
  だれか/答えて/くれないか? 
 Eaug5  E7      Am7 AonE
  だれか/答えて/くれないか? 

F△4 Cadd9/*4
Am7 Em7(13)/*4 
Gsus2(300033)  CM7/*4 
AonE Dsus G G2

 遠く、かれはうつむいて
 呼んでる、なまえのひとつを
 なにも訪れず
 夜はまわる
 もう そこは居場所なんかじゃない

 呼び声は 遠ざかるばかり 
 喪う 町のどよもしに
 かげがよろめき
 女がつばを吐く
 いつからか恥ずかしいみずからさ

AonE, Em/*4 

  そうしてただひとり/なにを望んでる?
  そうしてなによりも/戦きが美しい   
  だれか見つけてくれないか?
  だれか見つけてくれないか?

AonE, Em/*4 

D6sus4(*000203)    Em  
  かぜにまぶたをひきさかれ 
D6sus4    Em7(13) 
  青年、歩きだす 
D6sus4        Em 
  かぜに手足をきりさかれ 
D6sus4   Em7(13) 
  青年、走りだす 
 Cadd9  Gsus2(300033) 
  火を頬に 秘めながら 
 B7       G G2
  ずっと呼びかける  

 

声/夏の夜(a first demo sessions ver )

 なんのプランもなしにイメージだけで、インスト曲「声/夏の夜」の制作に入った。まずはドラムを書き、音声加工。リバーヴは「大理石ホール」を使用。つぎにその音源を鳴らしながら、ギターを弾く。これもただただイメージだけ。そして音声加工、ミキシング。なんとなくyo la tengo を感じさせるものになった。さてこれをスタジオではどう演奏するかだ。ちなみに題名はムンクの絵から。
video